Toruトップ   >歴史 
令和3年(2021)6月5日(土)

館山チャシ跡(伊達市)
 
 吉方が南西に変わったので、訪問したことがない伊達市のチャシを訪問することにする。一つ目は館山チャシ。伊達市街であり、警察の南側の公園がそうである。伊達は何度も訪問しているが、ここがチャシだとは思わなかった。
 道の駅に車を停めて、2kmほど国道を西に向かう。気門別川を渡り善照寺に行くが、公園の入り口はない。道路の真ん中で地図を見ていたら、車のおばちゃんにクラクションを鳴らされた。自分が悪いのだが、腹立つ。
 気分を取り直して、国道に戻り反対側の車線から、警察の向かいに渡ると館山公園で、その奥にチャシ跡があった。二重の壕も残っている。樹木に遮られているが、高台で眺めは良い。海だけでなく、後ろは有珠山、伊達紋別岳、伊達市街が一望できる。

【館山チャシ跡】
・城 跡 名:館山チャシ(別名:不動坂のチャシ)
・所 在 地:北海道伊達市館山町
        マップコート:321 193 703*10
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形  態:丘先式
・主な遺構:壕・弧状2条
・大きさ:30m×20m
・標高:45m、比高:40m

・説明板:このチャシは、日高シベチャリ(静内)にあるシャクシャインの砦をしのぐ、典型的なものとして名高い。この痴呆のたびたびの騒乱には、これに立てこもって戦ったものと思われる。縦100m、横10mの壕が北西部と南部に2条づつあり、西部には盛土の跡がうかがわれる。

・伝説:「日本城郭体系」
 松浦武四郎は、「道ヶ上に昔、貴人の住せしと言ふ居あるなり、土人小屋も近年迄有りしが、今は一軒もなし」と書いてある。その貴人の居の位置は、いまの気門別川と長流川の間となっているから、この館山の近くであったと思われる。

:伝説:「アイヌ伝承と砦」(宇田川洋著)
 古昔累々戦闘ありて部落酋長等の割拠せし城砦なりとの口碑伝ふ。
     
   
   
 
   
  
   
 
歴史に戻る