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令和3年(2021)7月24日(土)

亀山城跡(三重県亀山市)
 
 亀山市内のビジネスホテルから亀山城跡まで歩いた。商店街が旧東海道になっていて、家老名川家跡の支柱があった(1)。お城の入り口に亀山城跡の碑(2)と本草学者の飯沼欲斎氏生誕地の碑(3)がった。多門櫓(4)の横からは景色が良い(5)。お堀の方に下ると多門櫓が良く見え(6)、石井兄弟仇討の碑があった(7)。周辺には武家屋敷(8)があり、西の丸堀跡があった。
 河岸段丘上、旧東海道から少し離れたところにあった。周辺に市役所、小学校、公園がある。天守閣はないが、お堀、石垣、そして多門櫓が風情を醸し出していた。

【亀山城跡】
・城 跡 名:亀山城(粉蝶城)
・所 在 地:三重県亀山市
・創建年代:文永2年(1265年)
・創建者(改修者):岡本良勝、本多俊次
・形  態:梯郭式平山城
・主な遺構:多門櫓、石垣、堀、土塁
・大きさ:
・標高:
・説明板(亀山氏ホームページ):天正18年(1590)岡本宗憲が築城しました。寛永9年(1632)三宅康盛の代に天守が下ろされ、正保年間(1644〜1648)本多俊次が城主の時に天守跡に現在の多門櫓が建てられました。平屋建白壁の塗込で屋根は入母屋造り、東西北の三方に破風があり、平時は武器庫として利用していました。県内に唯一現存する城郭建造物として、昭和28年に県史跡に指定され、特に桜や積雪の頃は野趣にあふれ、高石垣の上にそびえる多門櫓は今も往時と変わらぬ風情を残しています。

・説明板:伊勢亀山城は、文永2年(1265)若山に関実忠が最初に築城し、元亀4年(1573)織田信長により関盛信が追放されるまで、関氏16代の居城であった。ただし関氏時代のうちに現在の位置に遷されたとされ、発掘調査においても戦国時代末期の空堀が確認されている。
 天正18年(1590)岡本宗憲が入城後、新たに築城したとされ、この城については「九々五集」に本丸・二の丸・三の丸からなり、天守も建てられたと記されている。
 また、三宅氏が城主の時、丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴が間違えて伊勢亀山城の天守を取り壊したと伝えられるが真偽のほどは定かではない。
 寛永13年(1636)本多俊次が城主になると亀山城の大改修に着手し、東西700メートル、南北500mに及ぶ縄張りが確定する。城の外周は堀が廻り、一部は谷をせき止めて水堀とした。場内には本丸、二の丸、東三の丸、西の丸、西出丸の曲輪があり、本丸には将軍家旅館として整備された本丸御殿、二之丸には城主居館を兼ねた二之丸御殿が設けられた。
      
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