Toruトップ   >歴史    
令和3年(2021)10月9日(土)

「史跡常呂遺跡」、「ところ遺跡の森」、「トイカウシチャシ」

 網走市散策のあと、常呂に移動し史蹟散策。途中、道路沿いの河岸段丘上の竪穴群の遺跡を見つけた。

【史跡常呂遺跡】
 遺跡はオホーツクの海岸に沿って常呂川の河口からサロマ湖西岸へ続く砂丘上に位置する竪穴群である。昭和32年以来、東京大学が調査を実施し、2500軒余りの竪穴住居群が観察できる。これらの竪穴は縄文文化晩期、続縄文文化期、擦文文化期、オホーツク文化期に属し、東京大学によって13軒が発掘され、大量の土器、石器、骨角器、鉄器、青銅製装飾品、彫刻品などが出土している。北海道における同種の竪穴群の中で最大の規模と密度を持つものであり、擦文文化期とオホーツク文化期の竪穴住居跡が混在している点は、両文化の関係を解明する上で重要な遺跡である。

 常呂遺跡のあと、ところ遺跡の森に移動する。
【ところ遺跡の森】
 ところ遺跡の森はカシワ、ナラを主体とした落葉広葉樹の森林で、総面積は120,822uにおよんでいます。森の中には擦文文化(約1000年前)、続縄文文化(約1800年前)、縄文文化(約4000年前)の竪穴住居跡が約138軒あります。住居跡は地表面が大きく窪んでいます。住居の立地は各文化により大きく異なり、擦文文化の住居は台地の北側周辺にあります。縄文文化の住居は台地の北側から東側にかけて広く分布しています。一遺跡の中で各文化の住居の立地が異なっていることは珍しいです。

 「ところ遺跡の館」内で、映像を見た後、森の中を散策する。森の中にも膨大な竪穴が残っている。三つの文化ごとに住居跡などが復元されている。この地には2500もの竪穴があったとのことだが、サロマ湖と海、背後の森で豊かな食料基盤があったことが理由だろう。結局森の中を1周し、最後の「ところの遺跡の館」の裏側に「トイカウシチャシ」があった。森に囲まれ展望はきかず、小さくて拍子抜けした。
 
 【トイカウシチャシ】
・城 跡 名:トイカウシチャシ
・所 在 地:北見市常呂町栄浦374
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形  態:丘先式
・主な遺構:空壕(弧状1条)
・大きさ:不明
・標高・比高:不明
・説明板:トイカウシとはアイヌ語で「そこを渡る」という意味です。サロマ湖を渡る場所と考えられます。チャシは「祈りの場」、「談合の場」、「戦闘要塞」、「見張り台」などに使われました。16世紀から18世紀にアイヌの人々による作られました。このチャシは標高8mの台地に作られているのが特徴で、台地の基部に弧状の溝が一本掘られています、深さは1m20pです。
   
    
   
   
   
   
   
  
歴史に戻る