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令和3年(2021)10月10日(日)

美幌町「リンナイチャシ」

 北見市に宿泊のあと、美幌町に移動。高台にあるスポーツ公園、陸上競技場の横にチャシはあった。日本城郭体系によると、リンナイは網走川のアイヌ語名で、正しくは「リンナイ・ヌタビ・チャシ(網走川の・曲がりの・チャシ)」と言われる。網走川はチャシの台地を迂回して北流していることからその名前が伺われる。またこのチャシは別名、「チ・ルラ・トイ」(我らが・運んだ・土)といい、安山岩を割栗にし、粘土でこね上げたものを積み上げたとされる。現在は陸上競技場や野球場が作られたため昔日の景観は失われているが、かつての競技場の部分にクランク状の壕(幅約5m、深さ約2m)があり、かつての規模はチャシとしては最大級で、この地方の中心的存在だったと想定されるということだ。
 個人的には二つの土盛りが二つつながったような形で、内地の前方後円墳のような形のようにも思われる。
 
 【リンナイチャシ】
・城 跡 名:リンナイチャシ(リンナイ・ヌタビ・チャシ、チ・ルラ・トイ)
・所 在 地:網走郡美幌町西2南5
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形  態:面崖式
・主な遺構:空壕(半円状2条連結)
・大きさ:50m×30m
・標高:44m、比高:20m
・説明板:
 別名 ツルライエ(盛土した砦) このリンナイチャシは、エンカルチャシ、ピラチャシ、エエンチャシを前衛とした戦略上の要衝にあったといわれ、また前各チャシを一望する要(かなめ)にあたり、ビホロアイヌの鎮守の霊地でもあったともいう。
 機械力も労力もなかった時代に、これだけのものを作り上げることの出来たということはまことに驚嘆に値する。年越しをすると必ずウエンカム(悪魔の神)がつくという信仰があるからである。
 たった一年で堅い安山岩の割石を粘土でこね上げた(通称アイヌコンクリ)この巨大な構築物は単なる見張りの砦であったか。敵襲にそなえた堅固な砦であったろうか。学術的にも大きな意義を持っている。それにしても、このチャシは、ビホロアイヌの縄張りの偉大さを示しているといえるだろう。

伝説:「アイヌ伝承と砦」(宇田川洋)
@リンナイチャシは展望のよくきく所で、ここからは、高野部落方面石山の上にあるエンカルチャシや弁慶岩のりーべラチャシなどがよく見える。今はジャンプ台が建てられているが、規模は相当に大きく周囲の壕などは、どうしてこれ程の大工事が当時できたものかと驚かされる位である。
 このリンナイチャシは、その時代どうして造ったものであろうか。それはこうである。当時の酋長の勢力は大したものです、その縄張りともいうべき勢力範囲内にあるものは、皆コタンを挙げて男も女も応援に来たものだ。しかも食料持参で来る。これは弱者の御機嫌奉仕なのである。もしこの時協力しなければ、護持の攻略を恐れなければならないからだ。
 アイヌは、どんな大きな「もの」を造るにしても決して年越しをしない。年越しをすればそのものにウエンカム(悪魔の神)に憑かれるからである。だからどんな大きな家でも細工物でも着手したら決して中途では止めない。こうしてこの広大なリンナイチャシが出来上がったのである。
Aリンナイチャシは一名ツララトエエ(盛土した砦)といわれ、美幌第一の霊地とされ、此処を通る人は櫛けずり、帯をといて礼拝したものだという。又一説には敵に備えた最大の防御陣地であったともいわれる。
Bリンナイとは網走川のアイヌ語名で、この地一帯をアシリペクシ(新しい河の流れるところ)と言われた。このチャシは別名、チ・ルラ・トイ(我等が運んだ土)とも呼ばれ、このチャシは内地人が入植してからはヌサ・サン(霊場)として地域アイヌ人の信仰の場であった。
   
   
   
   
  
 
 
 
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