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令和4年4月8日(金)東京都有楽町「数寄屋橋」
 
 東京出張中、有楽町のどさんこプラザを訪問する途中で、数寄屋橋跡に立ち寄った。
 ネットによると「数寄屋橋」(すきやばし)は東京都千代田区と中央区の境、旧外濠(そとぼり)に架けられていた橋の名である。 江戸時代、近くの織田有楽(うらく)邸内に数寄屋風で知られた茶室のあったことに由来する。 1707年(宝永4)、橋際の数寄屋橋門内に南町奉行所(ぶぎょうしょ)が設けられたそうだ。

【数寄屋橋の碑】
 表面には「数寄屋橋此処にありき 菊田一夫」と刻まれている。
 裏面は次のとおり、刻まれている。
 寛永六年(西暦1629年)江戸城外廓見附として数寄屋橋が初めて架けられた時は幅四間長三間の木橋であった。橋名は幕府の数寄屋役人の公宅が門外にあったのに依るという。見附の城門桝形は維新の際に撤去され、ついで大正大震災後の復興計画によって完成を見た近代的美観を誇る石橋が銀座の入口となった。再来30年首都交通の激増はこの界隈を高架車道が、地下には地下鉄が走るようになって橋も姿を消し、ここは渾然たる大銀座の一画となった。本会は茲に旧橋の遺材を以て碑を建て、感慨深い東京文化の変遷を偲ぶよすがとした。
 1959年4月 数寄屋橋公園美化協力会
  
 
 
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