Toruトップ   >歴史
令和4年(2022)7月20日(水)

 出張二日目。出発まで時間があるので、原爆の爆心地や平和公園まで走っていくことに。まずは昨日訪問できなかった出島を訪問。周囲が埋め立てられており、島の雰囲気はない。

【国指定史跡 出島】
 出島は寛永13年(1636)キリスト教の布教を防ぐ目的で、市中に雑居していたポルトガル人を一か所に集め住まわせるために幕府の命により造られた面積約15000uの扇形をした人工の島です・・・。

 出島のあと、1qほど走るがこのままだと遅くなってしまうため、長崎駅でバスに乗り平和公園に向かう。バスだとあっという間。
 平和公園には、よくテレビで出てくる石像が鎮座していた。外国人による虐殺の地である。
 
【碑文】
 のどが乾いてたまりませんでした。水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました
 どうしても水が欲しくてとうとうあぶらの浮いたままのみました

【平和記念像建立のことば(略文)】
 昭和20年8月宇9日午前11時頃、一発の原子爆弾がこの地の上空で炸裂し、方5km一帯を焼き尽くし、死者7万3千余り・・・。

 平和記念公園の隣の公園は爆心地だった。
 
   
 
  
 
   
   
  
歴史に戻る