↑まずは6代御前の墓。鎌倉時代に、平家の末裔で鎌倉に送られ、この辺で斬首されたそうな。悲しい。以下、市のホームページより抜粋。
六代御前は、平正盛-忠盛-清盛-重盛-維盛に続く平家嫡流の六代目で、名を高清(高盛とする説もある)といいます。
文治元年(1185年)、壇の浦の戦いで平氏が滅亡すると、母とともに京都嵯峨に身を隠していた六代も北条時政に捕らえられました。
しかし、高雄山神護寺の文覚(もんがく)上人の尽力で助けられ、妙覚と名を改めて仏門に入りました。
その後、六代は神護寺などで修行に励み、十数年の歳月が流れましたが、建久9年(1198年)に再び 捕らえられて鎌倉に送られ、
田越川のほとりで斬首されたということです(処刑の場所や没年については諸説あり)。 |