泉谷寺。都会らしくない、緑に囲まれた古刹だ。以下、ネット。
交差点の名にもなっているこの寺は、1320年代に芝増上寺の末寺として創建された本覚院を1523年(大永3年)に北条氏綱の家臣二宮織部正が現在の場所に移し、見誉上人を招いて開山としたものであるという。泉谷寺の名はそもそものこの辺りの地名からとられたものであるらしい。かつては小田原北条氏の保護を受け、やがて江戸時代には葵の紋も許されたという由緒の寺だが、現在は1781年(天明元年)に再建された観音堂が残るだけで、他の建物はすべて改築されている。
この寺が有名であるのは何より、「東海道五十三次」で著名な初代安藤広重が描いた「山桜図」が残っていることだろう。1834年(天保5年)から1840年(天保11年)までこの寺の住職を勤めた第二十六世立誉了信上人の代に、本堂内陣と下陣の間の杉戸に左右四面ずつの八面に山桜が描かれたもので、初代安藤広重の傑作とされているのだそうだ。第二十六世立誉了信上人は安藤広重の弟であったとされており、その関係から了信上人が住職を勤めていた時期に描かれたものだと言われているということだが、広重の先妻の兄説など他にも諸説あるらしい。
この山桜図は1928年(昭和3年)、詩人野口米次郎によって発見され、東京朝日新聞に紹介されたものだが、現在は保存のために一般公開はされていない。この山桜図は神奈川県の重要文化財に指定されている。
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