房総半島へ渡る海路の要所であった森村に鎌倉幕府が陣屋を設けた際、海を一望できる「我沙羅山」山頂の当地に富士山の神霊を祀ったのが起源と伝えられる。 鎌倉幕府最後の将軍・守邦親王は鎌倉を脱して森村へ移り、建武2年(1335年)に薬師如来を当社の本地仏としてを安置した。それをもって創建という説もある。
古くは「親王権現」と称し、江戸時代に富士講が盛んになると富士山同様に三方向から登山路が設けられて「武州小富士」と呼ばれた。 明治41年(1908年)に周辺10社を合祀し、大正2年(1913年)には神饌幣帛料供進社に指定された。
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