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2012年(平成24年)1月4日(水) 浜街道(絹の道)@(八王子〜町田)8:19 八王子12:00頃 町田 |
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本来、今日は初出勤なのだが、国の場合、相手にすることが多い国会議員も少ないことなど、業務量的に少ないので、出勤する者は少ない。このため、自分もお休みさせていただくことに。 正月休みの最終日なので、近場で気になっていた街道ランニング。絹街道である。これは絹の産地、八王子から船に積み込む横浜までの道のりである。以下、ネットより拝借。 安政6年(1859)横浜港が開港され、輸出が始ると日本の生糸が横浜から大量に欧米へ送られるようになった。八王子は関東周辺、多摩地域の生糸の集積地であったが、直接八王子から横浜へ生糸が送られるようになる。このとき八王子市「遣水」地区の商人が仲買として、大きな利益を上げ「遣水商人」として名前を挙げることになった。生糸は馬、人力により八王子から南下し、「遣水峠」を越え、田端、小山を抜け、境川沿いに原町田に出て横浜港へと向った。このことにより「遣水」の人々は大いに栄える事になるが、長くは続かず、鉄道の開通などにより、「遣水商人」達にも繁栄は終りが告げられる。この道は「浜街道」と呼ばれていたが、昭和20年代に研究者により「絹の道」と名付けられた。現在開発により大部分に道は失なわれてしまったが、一部「遣水峠」に「絹の道」として古道が整備されている。
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