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2012年(平成24年)1月28日(土) 

中山道の旅 

1’板橋〜2蕨 8.9km(18.7km)
2蕨〜3浦和 5.4km(24.1km)

9:30  板橋
11:30  蕨
12:30  浦和
   
 街道歩きをいろいろ行ったが、東海道53次が終わらないうちに、今度は中山道に。日本橋から板橋までは、川越街道の旅の1回目で走っていたので、省略。今度はむかし、祖母が住んでいた板橋を通って、荒川を渡り、浦川まで走った。
 池袋駅。 板橋宿。江戸よりから平尾宿、仲宿、上宿といったそうだ。 
   
   
板橋の商店街に入ってすぐに文殊院。本陣飯田家の菩提寺だそう。延命地蔵尊、出征稲荷がある。 
   
   石神醫院。高野長英ゆかりの地。
   
 板橋区の由来となった板橋。川は石神井川。  縁切り榎。嫁入りの際に縁が短くなることをおそれこの木の下を通らなかっという。
   
   志村一里塚。左上の旧家はその近くにある。この志村一里塚は日光御成り道の西ヶ原一里塚とともに現存する数少ないもの。
   
 都営三田線志村坂上から旧道に入る。ここは昔祖母と叔母が住んでいてよく来たのだ。なつかしい。
   
志村坂上の坂は清水坂と言われており、庚申塔もあったのだなと感慨深い。 
   
   都営三田線の向こうのマンションが、かつての祖母と叔母のマンション。なつかしい。
   
   
すぐに荒川になり、埼玉県戸田市に入る。戸田の渡しの碑はわからなかった。 
   
   
   
戸田を抜けしばらく走ると蕨宿。お店も昔風にしている。記念館もあり、本陣もそれらしく改築している。 
   
 和楽備神社。社伝によると室町時代に蕨を所領とした足利将軍家の一族、渋川氏が蕨城を築城の際、八幡神を祭ったのが最初だという。そのすぐ近くに蕨城跡。堀しか残っていない。 
   
   蕨城跡。
   
和楽備神社近くのうどん屋で昼食。 
   
 三学院。真言宗智山派智積院の末寺。本尊の木造十一面観音菩薩は平安時代だという。境内がひろい。  その手前には子育て地蔵、六地蔵。
   
 蕨からは旧街道で、このような旧家が続く。  
   
 焼米坂。結構急で、この後、尾根沿いに道が続く。 浦和宿。本陣跡の碑だけで、あとは駅前なので、繁華街 
   浦和駅前。

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