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2012年(平成24年)3月25日(日)

代官山〜明治神宮〜千駄ヶ谷〜市ヶ谷〜護国寺〜池袋
9:00頃〜12:00頃
   

 今日は久々にお休みをいただく。引っ越し準備は午後にやることにして、午前に時間をもらう。休日はあまり走りたくないが、都心を走ることに。
 ラッシュアワーの東横線で中目黒から代官山、山手通りを北上し、明治神宮でお参り。日月神示が降りた岡本天明が宮司をしていた千駄ヶ谷の鳩森八幡にお参り。新宿御苑を左に見て北上し、靖国通りを東に行き、市ヶ谷の防衛省、飯田橋の新小川町の新極真会総本部、護国寺を見学し、池袋の極真会館の総本部を訪問。ビル街をずっと走る都会のランニングでした。
 
   中目黒から代官山近辺を走り、山手通りを北上する。洒落たお店が多い。
   
   
   
明治神宮。境内を走ると警備員に怒られてしまった。とぼとぼ歩きながらお参り。日本酒とワイン樽が置いてある。今年は明治天皇崩御100周年だそうで、写真を撮るのを忘れたが、明治時代の写真などが飾られていた。しかし、大きな神社だ。 
   
 次に千駄ヶ谷の鳩森八幡神社に行く。由緒は次の通りだが、なんといっても、ここは、日月神示が降りた岡本天明が宮司をやっていた神社なのだ。

 『江戸名所図会』によると大昔、此の地の林の中にはめでたいことが起こる前兆の瑞雲(ずいうん)がたびたび現れ、ある日青空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、突然白鳩が数多、西に向かって飛び去った。この霊瑞(れいずい)に依り 神様が宿る小さな祠(ほこら)を営み鳩森『はとのもり』と名付けた。貞観2年(860年)、慈覚大師(円仁)が関東巡錫の途中、鳩森のご神体を求める村民の強い願いにより、山城国石清水(男山ともいう)八幡宮に宇佐八幡宮を遷座し給うた故事にのっとり、神功皇后・応神天皇の御尊像を作り添えて、正八幡宮とし尊敬し奉ったと伝えられている。
   
  境内に富士塚があり、登って神社を望む。
   
 市ヶ谷の防衛省。警備員の数がすごい。
 
飯田橋。高いビルは法政大学。 
   飯田橋近くの新小川町の新極真会総本部。小さいビルの地下一階だ。
   
音羽というところに、鳩山一族の屋敷がある。 以下ネットより。また、ネットで見ると以下のような立派な屋敷である。

文京区の音羽の丘に鳩山家の美しい洋館が姿を現したのは、関東大震災の翌年大正13年である。鳩山家は、衆議院議員の和夫(1856〜1911)、総理大臣となった一郎(1883〜1959)、外務大臣をつとめた威一郎(1918〜1993)、さらに衆議院議員の由紀夫(1947生れ)、邦夫(1948生れ)、と四代にわたり指導的な政治家を生み育てた。この洋館を建てたのは一郎で、ここを舞台に、戦後政治の画期となった自由党(現・自由民主党)の創設が計られ、また首相として決断した日ソ国交回復の下準備も行なわている。 設計を手掛けたのは一郎の友人の岡田信一郎(1883〜1932)で、大正・昭和初期を代表する建築家として知られる。一郎の没後、傷みがひどくなったけれど、このたび大修復を加え、往年の輝きを回復した。修復に当たり、一郎、その夫人で教育者の薫、威一郎を記念する部屋を設け、公開されることになった。バラの庭を前に建つイギリス風の外観、ハトをモチーフとするステンドグラス、アダムスタイルの応接室、朝倉文夫作の和夫、春子夫妻像、などなど見るべきものは多い。

 
   
 講談社。古くて立派だ。 護国寺。 
   
東池袋の大勝軒で中華そばを食べる。普通盛でも麺の量は通常の1.5倍?中盛で3玉分あるという。普通盛りでも結構ボリュームがあった。スープは少し魚介風味で、油も少し浮いて熱くてうまい。チャーシューも分厚くてうまかった。 
   
 池袋駅前。 池袋駅西側の極真会館の建物。昔、多くの若者が憧れて通った。 

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