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2012年(平成24年)4月29日(日)

掛澗〜鹿部

11:30頃〜14:30頃(約26km)

 実家に帰省していたが、以前、実家の森町字駒ケ岳から掛澗まではしったが、今回はその続きを走ることに。砂原は森に合併され、大分寂れたな。しかし、初めて南部藩の陣屋も初めて見学でき、なかなか有意義であった。 

 
    
 駒ケ岳。砂原岳がでかくなっている。  さびしい浜の風景。
   
掛澗神社。古そうだが、沿革はわからない。 
   
 駒ケ岳。剣が峰がさらに小さく。 つどーるプラザさわら。 
   
   
   
  近くなのに始めてきた。土塁も残されており、歴史を感じる。以下、町のホームページより。

幕府は安政2(1855)年4月、仙台、秋田、南部、津軽及び松前の5藩に蝦夷地警衛の分担を命じた。
南部藩は箱館表出崎の警衛を主として、恵山岬から東蝦夷地幌別まで一帯の海岸を持場として、箱館谷地頭の北方に元陣屋をおき、砂原分屯所(南部陣屋)は安政3年には四軒町にあり兵隊約50名、砂原は市中と神社脇や駒ヶ岳のふもとに小屯(見張所)をおいた。砂原町四軒町に、東西37間(66.6メートル) 南北33間(59.4メートル)の方形に、周囲の土塁の高さ約1丈(3メートル)である。
   
   さびしい砂原駅から駒ケ岳を望む。剣が峰は見えない。
   
   以前、テレビに出ていた禅寺だ。
   
ハマナス台場公園。 ハマナス台場公園付近は噴火湾の入江に面し、かつては海上警備の拠点となっていた。箱館戦争の時には旧幕府軍副総裁榎本武揚が対岸室蘭に向かう要地と見て、隊員30名を駐留させ、村民多数の使役によって少数ながら4つの砲台を築いたという。公園内には噴火湾と駒ヶ岳、砂崎海岸・砂崎灯台を望むことができる展望台、海難慰霊碑などがある。
   
   
 
 鹿部駅近くの喫茶店でお茶する 鹿部から見た駒ケ岳。 

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