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2012年(平成24年)6月22日(日) 

函館八幡宮〜漁火通り〜五稜郭〜宮前町〜ともえ大橋〜函館公園
8:30頃〜11:30頃
 
 今日は久々に函館を走ってみることにする。今日の目的は、パワスポBOOK北海道で紹介されていた函館八幡宮と、新築された五稜郭の奉行所跡、そして、ともえ大橋を走ることです。何回も走っている函館ですが、新たな発見が何度もあり、新鮮なマラニックでした。

 
 
 
   函館八幡宮であるが、ちょうど、函館山の懐に抱かれるようにあり、そのエネルギーが満ちているようだ。勾玉の池もある。後でわかったのだが、2体の狛犬のパワーもすごいとのこと。以下、ホームページより。
社伝によると後花園天皇文安2年(1445)亀田郡の領守河野加賀守政通が、函館に館を築いた時、その東南の隅に八幡神をお祀りしたと伝えられ、それは現在の元町、公会堂前あたりであったと言われている。永正8年河野一族蝦夷に館を陥され亀田郡赤川村に動座慶安年間巫女伊知女が赤川村より凾館元町に奉遷、寛政11年幕府は東蝦夷を直轄とし、奉行所を置くに至り、本宮はその用地なるを以て文化元年幕府の費用を以て会所町に奉遷、明治13年更に谷地頭に奉遷申し上げ現在に至っている。明治10年5月28日国幣小社に列格し、同29年10月19日国幣中社に昇格した。現在の社殿は大正4年に竣成したもので「大正式八幡造」の代表作と言われ、社殿の形式は聖帝八棟造りで、聖帝造(日吉造とも言い藤原時代の寝殿造の後方の一間を切り取った形)に、八棟造(権現造とも言い本殿と拝殿とを中殿で連結)を併せた実に森厳にして優雅である
   
 竹林だ。本州がなつかしい。  住吉町に住三吉神社があった。ネットによるとやたら古い。

 創立年代未詳。口碑によれば、鎌倉時代とされている。安永年間に再建されている。享和、文化年間の箱館奉行、戸川筑前守安倫・羽太安芸守正養が外冦退散開彊綏北を祈願し、享和3年春に石灯籠を奉納した(昭和9年3月の大火災で破損し僅かに片影を留めている)。明治8年、村社に列せられ、同37年12月に社殿を改築した。昭和9年3月、大火の為に社殿が類焼し三吉神社跡地に仮殿を建立、三吉神社を合併合祀の上で神社跡地に移転、昭和10年5月11日、社名を住三吉神社と改称した。
  
 住吉町からみる湯の川方面。
 
 
 大森浜。高校時代に部活でよく走りに来た。
   
   
   
 
復元された函館奉行所あと。 
   
五稜郭の裏門に男爵しょを讃える碑がある。宮前町、ガス会社前を経て、ともえ大橋へ。 
   
   
ともえ大橋からは素晴らしい景色。しかし、高くて怖いのだ。 
   
   函館博物館では、明治の写真展が開催されていた
   池の岩に龍が。

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