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2013年(平成25年)4月6日(土) 10時頃出発

今金町市街〜神丘(国道)〜目名〜丹羽〜神丘(道道)〜今金市街
8.05マイル(13km)1時間35分(時速8.15km)

 
あすの日曜から天気が悪くなるので、今週も帰省しないこととする。あすは暴風雨で走ることができないので、本日走ることとする。かねてから行こうと思っていた、今金の神丘のイマヌエルの丘方面を走ることにする。
 テーオーショッピングセンターに車を停めて、国道を丹羽方面に走る。相変わらず行き交う車の中の人にジロジロ見られる。坂を上ってしばらくすると神丘神社を見つけお参りする。そしてその後、インマヌエルの丘の看板に到着する。『「神われらとともにいます」の下に集いし若者たちが一鍬一鍬己の青春をけずるが如くこの地を開き久遠に眠る丘』と書いてある。その奥にはお地蔵さんらしきものがありお参りする。その後、丹羽方面に走り、あまり車が多くジロジロ見られるので、小倉山方面に抜ける道に抜け、そこから檜山北高校に向かい、道道丹羽今金線に入る。ここから風が向かい風になり進むのがきつくなる。また、今金町に入ると、丸山要次郎少年の開拓の碑があった。「丸山要次郎、丹波の人幼くして・・・」と書いてある。この丸山要次郎は、荻野吟子の旦那である志方之善と同志社の学友で、当時一七歳で、瀬棚に渡り、そこから丸木舟で利別川を上り、二日間かかって寒椿原野目名(中焼野とも言う、利別川と目名川の合流点近く)に到着し、とりあえず小屋を作り一人で越冬したというのだ。また、ここにすごい先人がいた。
 そこから、まもなく、今金インマヌエル教会に到着。ネットによる沿革は次のとおり。 
 ・・・1892年より、埼玉などからキリスト者家族が開拓地を求めて移住、この地における信仰の基礎が築かれた。教区でも数少ない農村教会の一つ。1933年、現在の神丘と改名を余儀なくされるまで、この地の正式名称はインマヌエルと呼ばれた。現聖堂は1968年落成、木立に囲まれ、正面には狩場岳の秀峰、背後には清流で知られる利別川が流れる。・・・
 次に走っていると、おそらく旧瀬棚線の線路跡らしき痕跡がある。今度、国縫から瀬棚まで旧線路跡を走ってみたいものだ。そうこうしているうちに今金町の市街に帰りました。曇りの天気であったが、狩場山山系がきれいに見えていました。
 
   
   神丘神社
  
 
   
   
   
   
   
   
   
旧瀬棚線あとか? 
   
 
   
   

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