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2013年(平成25年)10月13日(水) 12:00頃出発

函館市昭和タウンプラザ〜(赤松街道)〜函館市桔梗〜七飯町大川・大中山・鳴川・本町・藤城   約11.4km 1時間55分

 この連休の初日12日土曜日はせたな町食と産業まつりがあり、次の日の13日(日)は、狩場山に役場の仲間と登る予定であったが、悪天候のため中止。これで連休の二日間が空いてしまった。そこで森町の実家に野菜をもらいに行きがてら、七飯町の赤松街道を走ってみることに。
 昭和タウンプラザに車を停めて早速出発。
 産業道路と赤松街道の交差点のところで早速神社に遭遇。比遅里神社という。ネットで検索すると江戸時代安政年間の創立だという。詳しくは下記。古いね。
 赤松街道をどんどん北上すると、大中山でも神社お参り。明治天皇もきたことがあるのだ。
 そして鳴川に来ると、松の密度が濃くなり、赤松街道の牌を見つける。初めて知ったのだが、男爵の発祥はここなのだ。
 七飯町の本町では、三島神社にお参り。ここは四国の三嶋大社から分祀したそうだ。
 そして、七星小学校は、昔官園があったところだ。
 そして、ガルトネルブナ林を初めて訪問。ブナ林の中を散策。残念なのは、通り抜けできないことだ。申し訳ないが、他人の畑の中を通って国道に戻る。
 最後に、藤城地蔵堂にお邪魔する。ここも古そうだ。昔の人は信仰が厚かった。
 ここで約2時間走ったので、バスに乗り昭和タウンプラザに戻る。
  
 
    
   
   
  産業道路と赤松街道の交差点に「比遅里神社」を
見つける。ここは古そうだ。 
 創立年代不詳なるも往昔住民が
小祠を建立し祀りたるを安政5年(戌午)年
5月当時の本村移住者(多くは加能越地方の人々)
の崇敬していた祭神聖徳太子を
祀り社殿を再建する。明治9年村社に列せられる。
社殿は初め同字24番地に建設したが、
同地が鉄道敷地になり、明治34年現在地に
改築奉遷する。
大正4年神饌幣帛料供進神社に指定される。
   
   
   
大中山神社を発見。以下、ネットより。

大中山は以前大川村と中島村に分れ、大川村は今から
凡そ400年前杉本永八祖先の一族が南部から渡道し移住した。
その頃より和人の移住者が多くなり天正4年村民協議の上、
三嶋神社を勧請して創立した。(七飯村三嶋神社より勧請)
中島村は安政4年岩崎恒右ェ門、池田長四郎等が越後の国から渡道、
次いで文久2年5月越後国稲荷岡村本社より池田甚内が勧請して
創立したのが稲荷神社である。明治43年8月3日、
三嶋神社に稲荷神社を合併、現在地に建立、
大正5年6月三嶋神社を大中山神社と改称する。
明治9年村社に列する。大正11年8月25日供進指定神社となる。

合併により合祀された歴史をもつ御祭神
稲荷神社 倉稲魂神 文久2年5月創祀 明治42年5月14日合祀 
   
 
   
   
   
三嶋神社には日本総鎮守として愛知県大三島町にある大山祇神社より御分霊を奉斎した大山祇命と木花咲哉姫命を御祭紙として祀っている。
その後、明治四十年に飯田村稲荷神社を合祀し倉稲魂命を加えて三神である。

 ■ 大山祇命(おおやまつのみこと)
 (大山津見神、またの名を和多志大神とも云う)は…

 ■ 木花咲哉姫命(このはなさくやひめのみこと)
 大山祇大神の末娘神で木の花(さくら)の栄ゆる如く咲きほこる様子から命名され…

 ■ 倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
 本名を宇迦之御魂紙といい、須佐之男命と神大市比売命との間にうまれ兄は大年神である。…
 
   
   
   
   
ガルトネルブナ林は、1870年(明治初期)に
プロシア(現在のドイツ)の貿易商人であった
R.ガルトネルによって植樹されました。

ガルトネルは、江戸時代末期より、この辺り一帯を借用し、
西洋農法による開墾を進めていったのです。
しかし、明治維新後、外国資本の排除を打ち出した
新政府により、契約は解除され、ガルトネルは
賠償金をもらい、1871年、函館から去りました。
 
   
   
最後に藤城地蔵堂。ここも古そう。後ろには立派な農家の屋敷。 
   

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