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2014年(平成26年)3月23日(日) 12時半出発

寿都湯別の湯〜黒松内北作開〜寿都町歌棄〜有戸にしん番屋の往復

約12km 1時間30分 
  本日は午後から快晴の天気で、札幌からせたな町への帰りは日本海側を通ることに。以前より気になっていた寿都町のニシン番屋を走ることに。
 寿都町の湯別の湯に車を停めて走る。北上すると黒松内町内に入る。寂れているが、青空のむこうの風車や山並みが綺麗だ。この辺は海岸のギリギリまで黒松内町で、風車の建っている海岸が寿都町という、入り乱れた地形だ。まもなく、寿都町の歌棄地区に入る。ここは住宅が結構あるが、それでも寂れている。この辺鄙なところにお寺が3件もある。昔はニシンで人が多かったのだろうと思いながら走る。唯一のお店セイコーマートで水を買って走ると、一件目のニシン番屋に着く。その向かいの海岸には神社。ネットで調べるとここは漁師が寝泊りするところではなく、仕込み屋だという。
 その次は、厳島神社。雪に埋まりながら参道を登る。ここの神社は結構立派だ。厳島神社ということは広島県に由来があるのだろうか。神社からみる海が綺麗だ。
 次にまもなく、2件目に到着。ここは、カクジュウ佐藤家というニシン番屋だという。以下、ネットより拝借。
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佐藤家は、嘉永5年(1852)以降に歌棄、磯谷二場所の場所請負人を勤め、維新後は駅逓取扱人を命ぜられた同地方随一の名家である。積丹半島開発および漁法改良に尽力した開発功労者としても著名である。

 この建物は、国道229号線に接して正面を海岸に向けて建ち、母屋は間口24.3メートル、奥行18メートルの2階建で、よせ棟屋根に西洋風下見張り、2階正面には櫛形ペジメントの付いた上げ下げガラス窓、1階前面はたてしげ格子、さらに、下見張りの戸袋でまとめ、屋根の大棟をまたいで洋風の六角形の明かり取り、その背後に和風の切妻屋根の煙出しを設けた洋風と和風とが入りまじった折衷の独自のスタイルの外形をもっている。

 内部は、正面右より玄関からかぎの手の形の土間が奥まで通り、その左側には、前向に帳場、その後に常居が並び、かぎの手土間に接して台所がある。また、帳場の奥には、前面に沿って中の間、浜座敷と並び、常居の奥は、六畳、仏間と並ぶ。仏間の後方には上段の間があり、六畳の後方には九畳、常居後方には八畳がある。また、常居から二箇所の階段があり二階に上がるが、二階正面に5室、後方にかぎの手状の大室がある。また、常居から台所の脇を通って、下屋で後方別棟の土蔵に通ずる。以上のように、ニシン漁場建築に普遍的にみられる漁夫宿泊部をほとんど含んでいない点に特色がある。

 この建物の完成年代は、佐藤家の口伝では明治3年としているが、確認資料は発見されていない。外形の洋風建築形式からみて、常識的には明治10年から20年の間の建築と思われる。

 旧態の保存が良好である上、建築年代、規模、意匠、構造の諸点からみて、現存の漁場建築中で、この建物に匹敵するものがない代表的な遺構である。
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 このあと、湯別温泉に戻り、ヒトっプロ浴びてせたな町に帰りました。
 
   
   
 
    
 
   
 
   
   
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