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平成29年11月26日(土) 10時頃出発(約3時間)
(約15km) 家〜道庁赤れんが庁舎〜ウインズ札幌〜菊水〜大通〜家
 
 天気はイマイチだが、道庁赤れんが庁舎で開催されている「北海道の鉄道 過去、現在、未来展」を見学しながら、その後JRAウインズ札幌で開催されている愛食フェア、そして白石の遊郭跡を走って実に行くことに。
 
 道庁赤れんが庁舎の同鉄道展は、鉄道マニアでごった返していた。個人的には鉄道も含め歴史のあるものは好きだが、鉄ちゃんと間違われるのは困るので早々に退散して、ウインズA館に向かうと、愛食フェア(ホッキ丼とシイタケ)がこじんまりと開催されていた。

 その後、本日の目的地である白石の遊郭跡に向かう。国道36号線から南7条米里線に左折して、地下鉄菊水駅を過ぎて水穂大橋に向かう途中、菊水公園にその碑があった。
 菊水公園から南に延びる道路が、遊郭街であるが、現在はその面影はない。白石区のホームページから引用。

説明板には、

「明治初期、札幌本府建設に集まった大工たちを目当てに料飲店や売女屋が増えたため、開拓使は街外れの薄野に札幌遊郭(一般に薄野遊郭と呼ばれた)を定めてこれらを一カ所にまとめた。
 薄野が市街化すると遊郭の移転が計画され、周辺の村は遊郭誘致に名乗りをあげたが、リンゴの病害虫で悩む白石村の果樹園主たちが遊郭用地を札幌区に寄付して誘致に成功した。
 大正9年までに移転を終えた札幌遊郭は地名をとって白石遊郭と一般に呼ばれた。写真のように通りに面して30軒ほどの妓楼が建ち並び、通りの中央に小川が流れていた。遊郭の東西の端に大きな門があり、国道36号からこの門に到る道は大門通と呼ばれた。 戦後の昭和26年(1951)、札幌市の風俗取締条例制定とアメリカ軍の撤退で廃業する妓楼が相次ぎ、昭和33年(1958)の売春防止法完全施行で白石遊郭は姿を消した。」

と記されている。

 ちなみに、写真に記されている妓楼は、大門通の北側に、西門から東門に向かって松島楼、昭和、千代田、栄清楼勇喜、金洋楼角ゑび、太田楼、朝日開進楼、新橋高砂、富山北国、栄楼、柏楼長谷川、玉楼、正月観月、新盛楼、昇月、いな葉ときわ、三日月、釣月甲子楼が並び、大門通の南側に、東門から西門に向かって大正楼、宮島楼、岡田楼、いな葉、北越、東京閣喜美川、丸喜楼、朝日楼、富士楼、一二三楼、喜久川、福寿美、敷島、日光楼、源氏楼が並んでいます。
 
   
   
 
 
 
 
 
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