Toruトップ  >マラニック  >登山       
平成30年4月28日(土) 

 厚岸市内(厚岸味覚ターミナル・コンキリエ→厚岸大橋→奔渡→桜道→正行寺→国泰寺→鹿島稲荷神社→お供山(75.5m)チャシ跡→コンキリエ)

約11km 1時間40分

 この度のゴールデンウイーク前半は札幌に帰省しないため、吉方の南西の厚岸に走りに行く。
 厚岸のコンキリエに車を停め、厚岸大橋を渡る。厚岸湖の中に祠がみえるが、あとで調べると「牡蠣島弁天神社弁財天座像」があるそうだ。道道別海厚岸線を南下し、桜道に右折して厚岸湾に向かう。途中元道議の立派な家を横目に道路に突き当たると正行寺があった。

 本日の主目的は国泰寺であったが、実はこの正行寺も歴史あるお寺であり、本堂が国指定重要文化財であった。真宗大谷派は北海道開拓にあわせ開教活動を行っており、明治12年に札幌別院の朝日恵明を厚岸に派遣して厚岸説教場を開設。現在の本堂は新潟県西頸城頸城郡西海村大字平牛の満長寺本堂(寛政11年(1799))を購入して現在地に移転。明治42年に解体、船で厚岸に輸送し、同43年に竣工、同44年3月に移築落慶法要が行われている。
 正行寺本堂は、要所に彫刻を配し内陣周りに極彩色を施すなど北海道の近世社寺としてはとくに豪華で格調高いという。

 正行寺からさらに走ると、国泰寺があった。国泰寺は、江戸時代後期、蝦夷奉行の願いでにより、幕府が和人の定着・慰撫、蝦夷地の強化及び法務活動を行わせるために、文化元年(1804)に建立した蝦夷三官寺(様似・等樹院、有珠・善光寺、厚岸・国泰寺)の一つで、第11代将軍徳川家斉の直願寺として臨済宗鎌倉五山に属し、約10ヘクタールの風除林を加えて造営。現存する建物はほとんど後代の改修を得ている、よく江戸自体のたたずまいを伝えている。
 国泰寺内には、数多くの古木、建物があって歴史がありすぎる。レポートしてもしきれない。

 国泰寺の近くに厚岸郷土館があり100円の入館料を支払って見学するが、厚岸は歴史がありすぎである。その後、厚岸神社にお参りし、港を通ってお供山に向かう。市外の裏にやたら急な階段があり、登っていく。高所恐怖症の自分としては少し恐怖を感じながら登っていくと供山チャシがあった。

 供山チャシ跡群は、湖南地区にあるお供山にアイヌの人達が造った4つのチャシ跡を包含する遺跡で、近世アイヌ期(17〜18世紀頃)のものです。チャシとは、アイヌ語で、砦・城・柵囲いなどを意味し、崖を利用した面崖式、側面に突き出した丘の先端を利用した丘先式、小高い丘を利用した丘頂式の3つの型式に分けられ、海か湖を見渡せる見晴らしの良い所に造られています。北側に位置する『鹿落しのチャシ跡』は、面崖式でコの字状の深い壕が掘られています。東側にある『逆水松チャシ跡』と『奔渡町裏山チャシ跡』は、丘先式で壕が楕円形に掘られており、西側の『松葉町裏山チャシ跡』は、お供え餅のような外観で山側に弧状の壕をめぐらせてあります。これらのチャシ跡群は、同じ時代に関連をもって機能していたと考えられていて、道内でも非常に珍しいものです。

 お供山チャシ郡を見学し、歴史でおなかいっぱいになり、道の駅コンキリエに戻る。
   
   
   
 
   
 
   
   
   
   
   
   
 
 
マラニックに戻る