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平成30年6月2日(土) 

 根室市明治公園〜友知〜双沖〜歯舞〜珸瑤瑁〜ヲンネモトチャシ跡〜納沙布岬

約23.7km 3時間21分

 2週連続で納沙布岬に走って向かう。今日の目的地は納沙布岬から西に少し外れの温根元地区にある日本百名城の一番目のヲンネモトチャシ跡である。
 天候は先週ほど快晴ではなく、日が照ると暖かく、太陽が雲に隠れると寒いという微妙な天気で、ウインドブレーカーを着たり、脱いだりしながら走った。
 本日は、貝殻島コンブ漁の解禁の日なので、漁師の家の前ではコンブ干しがなされていた。途中に、歯舞で乳牛感謝碑があり、その碑文は黒沢酉蔵の筆のようであった。石碑が昭和32年の築で、黒澤酉蔵氏は昭和57年に没しているので、おそらくこの地の酪農家が黒澤氏に頼んだのであろう。北海道酪農の父の筆跡をここで見れて若干感動。
 本日は、最近走り込んでいるので、最初は調子よかったが、後半はやはりバテバテになり、ようやく温根元にあるヲンネモトチャシ跡に到着。これまでに見てきた他のチャシに比べて、案内板が整備されている。その立地は温根元漁港の西の高台にあり、段丘状になっていた。チャシの説明は次のとおりであるが、個人的には、国後島や和人等の敵と対峙していた当時のアイヌ人が、目視で敵を発見するため、このような見晴らしの良い地にチャシ=城を築いたのだろうと推察する。特にこの地は、納沙布岬方面も海峡の北西部も良く見渡せる良い地である。

 【説明柱】
 チャシ跡は16〜18世紀ころ造られたアイヌの砦跡です。当チャシ跡は温根元湾を見下す台地上に位置し、お供えを二個並べたような形で、濠はお供え上のチャシ中心部を囲んでいます。形状の良いチャシ跡として有名です。
 
【説明板】
 チャシ跡は、アイヌ文化期(13〜19世紀)の砦跡とされていますが、築造は18世紀ころまでとされています。砦のほかにも、見張り場、聖地、祭祀場などの使われ方をしたようで、その規模や形状は様々です。
 北海道内には500か所以上のチャシ跡が確認されています。特に道東地方はチャシ跡の分布密度が高く、根室市内にはチャシ跡が32か所現存しています。そのほとんどがオホーツク海を望む海岸段丘上に造られています。根室半島のチャシ跡群は保存状態が良好なこと、分布密度が高いこと、寛政元年(1789)の和人のアイヌ民族に対する非道が発端のクナシリ・メナシの戦との関連性がたかいことから、根室半島に分布する24か所が「根室半島チャシ群」として昭和58年に国指定遺跡となりました。
 ヲンネモトチャシ跡は、温根元湾の西岸に突出した岬に盛土を行い、濠で区画し、盛土頂上に平坦面を2か所作っています。温根元漁港から側面を見るとお供え餅のような形の良好なチャシ跡として知られております。
 近くにも長さ12mのオホーツク文化の大きな竪穴もあり、古くからこの湾が利用されてきました。チャシ跡からは、歯舞群島や国後島が指呼の位置に臨め、交易品として貴重なラッコの毛皮入手などのために、海を越えていた根室地方のアイヌの生業領域の広さを実感できます。

 
   
   
   
 
 
 
 
 
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