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平成30年6月17日(日) 釧路市(東釧路貝塚、鶴ヶ岱チャランケ砦跡、モシリア砦跡)

 釧路イオン〜貝塚公園〜(貝塚通)〜(久寿橋通)〜春採湖・鶴ヶ岱チャランケ砦跡〜モシリア砦跡

15.7km 2時間28分

 釧路市に移動し、市内の史跡を散策ランニングすることにした。釧路町のイオンに車を停め走り始める。貝塚光和通を通り東釧路駅の裏にある東釧路貝塚、釧路公園に向かう。駅の向こうに高台が見えてきて、住宅街の坂道を登ると貝塚公園であった。説明板によると次のとおり。

【貝塚遺跡の概要】
 東釧路貝塚は西から東へ緩やかに傾斜する標高13〜15mの釧路段丘上に位置します。現存する貝塚は昭和10年、当時、釧路考古学研究会会長だった桑原佐一郎氏によって発見されたものです。貝塚は11個のブロックで構成され、全体として西に開口するU字状の分布をなしています。最大のブロックは形成された時期は気候の温暖化によって海水面が上昇した縄文時代前期(約6,000年前)にあたり、現在の釧路湿原は浅い内湾となっていました。
 貝塚から出土した自然遺物のうち貝類ではアサリが70%を占め、カキ、オオノガイがこれに次いでいます。このほかにウバガイ、ホタテ、ヒメエゾボラなどの現生種とともに今日釧路近海ではみられないアカガイ、シオフキなど暖海性のものも含まれています。獣類では海獣が90%近くを占め、この貝塚の特徴の一つです。また貝類中にはイルカの頭蓋骨を放射状に配列したり、トド、イヌなどを埋葬するなど貝塚が宗教的な性格をもっていたことも明らかになっています。

 貝塚のところは高台で、見晴らしが良く周囲を見渡せ、昔の人は、ここに立って敵を観察したり、また、宗教行事などをしていたのだろう。
 次に、貝塚通りを南下して、太平洋炭鉱に突き当たり、右折して春採湖に到着する。春採湖畔をしばらく走り、小さな半島の山が鶴ヶ岱チャランケ砦であった。説明板によると次のとおり。

【鶴ヶ岱チャランケ砦】
 このチャシは、春採湖に突き出した地形を利用してつくられている。チャランケは裁判、談判を意味するアイヌ語だが、この付近はトーモシリ(湖の中にある島
、イキタラウシ(熊笹が沢山生えている場所)などと呼ばれていた。
 チャシ頂部の標高は12mで、北側を除き急斜面で湖に面している。濠は湖に対して弧状に開くものが2条あり、濠内側の規模は南北15m、東西30mを計測する。東側に竪穴住居跡7個が確認できるほか、南側には船着き場があったと言われている。チャシは1916年(大正5年)、旧制釧路中学校第二代校長の阿部与作氏によって発見された。

 その後、春採台地竪穴群や博物館も行こうと思ったが、今回は止めて、北上しモシリヤ砦跡に向かう。この辺は北海道教育大学釧路校の近くなのか、若い大学生が多い。城山といわれている地区でもあるが、モシリア砦に近づくと、大きな小山が見えてきた。 

【モシリア砦跡】
 このチャシは、釧路川に面して半島状に突き出た大地を利用してつくられている。モシリア(川中の島の対岸の丘)は、この付近一帯の地名であり、サルシナイ(葦の生えている沢)チャシ、ポロ(大きい)チャシとも呼ばれてきた。チャシの頂部は、標高が18mもあり、比高差5mの濠によって南側の本チャシと北側の副チャシに分けられる。
 春採湖畔のウライケチャシを築いたトミカラアイノ(宝暦年間1751〜1763年に実在)が構築したものといわれ、その後の利用者もわかる数少ないチャシの一つである。
 このチャシ跡は、傾斜が急で、立ち入りは教育委員会に連絡の上とされていたが、自己責任で登ってみると、ここもまた、素晴らしい景色で、釧路川の向こうに釧路駅方面の繁華街が近くに見えた。

 その後、国道44号線を通って、車に帰る。
イオン近くの古川というラーメン屋で魚介とんこつラーメンを食べたが、旨かった。
   
   
   
 
 
   
   
 
   
   
 
 
 
 
 
 
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