Toruトップ  >マラニック    >史跡等のページ  
根室半島1周
根室市明治町〜金比羅神社〜ノッカマップチャシ跡〜温根元〜納沙布岬〜珸瑤瑁〜歯舞〜双沖〜友尻〜根室市明治町

平成30年8月5日(日) 44.1km 5時間38分
 
 根室に来て、根室半島1周にチャレンジすることとした。一人では厳しいので職場の走る仲間も賛同してくれ、2人で走ることに。
 8時に明治町2丁目の双和寮前を出発し、金比羅神社にお参りした後、北回りコースを走る。北回りコースは歯舞など集落がなく人家も少ない。その分、牧草地や馬の放牧地も多く、その向こうに海が見えて綺麗だ。
 10kmほどでノッカマフチャシ跡に到着。ランニングを中断し、道から200mほどの岬の突端、チャシ跡に向かう。途中花々が綺麗であった。
 チャシは1号と2号があり、どちらとも堀が掘られ、丸い舞台のようになっていて、高台から海や湾を見渡せる絶景となっている。しかし、説明板を読むと悲しい歴史の地となっている。

【説明板転載】
<ノツカマフ1・2号チャシ跡>
 ノツカマフ1号チャシ跡は半円形の濠が2つ連結して構成されています。濠の幅は約5m、深さは2〜3mと深く、濠の一部には「土橋」と思われる高まりがみられます。
 ノツカマフ2号チャシは後は半円形の濠が1か所巡り、幅2〜3mで深さ50p程度と濠が浅くつくられています。チャシ跡からは国後島や歯舞群島を見渡すことができます。
<ノツカマフの歴史>
 この地はノツカマップというアイヌ地名で、「岬の上にあるところ」という意味です。1754年にはは松前藩の役人やこの地を経営する和人が住むようになりました。1778年にはロシア商人シャパーリンやオチェレデンがノッカマップを訪れ、交易を申し出ました。
 1789年にはこの地域を治めていた和人がアイヌ民族に対し過酷な労働や暴力的な支配を行ったことが原因で、クナシリやメナシ(羅臼、標津)地方のアイヌ民族が和人71人を殺害する「クナシリ・メナシの戦い」がおきます。
 その後、松前藩は鎮圧隊を派遣し、戦いに関わったアイヌ民族37人をこの地に集め、処刑しました。それまで、ノッカマップはこの地方の中心地でしたが、この事件をきっかけに現在の根室港周辺に中心が移りました。
【転載終了】

 ノッカマップチャシを後にして、納沙布岬に向かう。最初は1km6分台で走れたが、岬に近づくにつれ7分前後にペースが落ちる。岬に11時半頃に到着。少し休んで南回りのコースを走る。ペースはさらに落ちて7分半前後に、12時半頃に歯舞のセイコーマートに到着。ここで昼食をとって大休止。
 セコマの近くに歯舞村役場跡地を発見。ここも以前は気が付かなかった。

【転載】
 大正4年の二級町村制施行により、歯舞村・友知村・沖根婦村・沖根辺村・婦羅理村・珸瑤瑁村(歯舞諸島を含む)が合併し、歯舞外五ケ村戸長役場は廃止され、歯舞村役場が設けられた。昭和20年歯舞諸島はソ連に占領された。昭和34年歯舞村は根室市に編入合併され、役場は廃止された。
【転載終了】

 昼食をとって若干元気が出たが、最後は8分台までペースが落ちたものの、何とか歩かないでスタート地点に到着。
 北海道マラソン前のよいLSDになりました。
  
  
   
 
 
 
 
 
   
   
   
   
 
 
 
マラニックに戻る