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中標津町
 開陽台330ハーフマラソンコース(21km、約2時間10分)
 中標津町町内【中標津神社、同神社チャシ跡】(約6km、約48分)

 平成30年11月24日(土)
 
 本日は、中標津町12楽走の忘年会であり、その事前練習で開陽台330ハーフマラソンコースを走る。前日の吹雪で雪が積もっており、寒い中であるが快晴の中、素晴らしい練習ができた。
 
 午後は若干休んだ後、夜の飲み会で美味しいビールを飲むため、町内を散策ランニング。中標津町文化会館「しるべっと」のところに清原日出夫歌碑があった。

「産み月に入りし若牛立ちながら涙溜めいること多くなる」

【説明板・転載はじめ】
 清原日出夫は1937年中標津町に生まれ2004年長野県で没した。この歌は帰省した折の作である。若生氏に注がれるあたたかい眼差しは彼が終生持ち続けたものである。
「それぞれは秀でて天を目指すとも 寄り合うたしかに森なる世界」
 これは彼が生前中に高校の教科書に掲載された歌であるが、森の成り立ちに寄り添いなんが人と社会のかかわり方まで考えさせられてしまうなどこれもまた清原単価の世界である。
 いずれにしても武佐岳の裾野に拓ける広大できびしい自然が育んだ歌人といえよう。
【転載終了】


 次に、まだ訪問したことがない中標津神社を訪問したら、その高台は「中標津神社チャシ跡」だった。説明板には中標津町内に6か所見つかるとされており、ネット上を探してみたが、他の5つはどこかわからなかった。今度、役場にでも聞いてみよう。高台の神社からは、街を見下ろせるとともに、武佐岳など山並みが綺麗に見渡せた。道内の他のチャシにも共通するが、チャシはいずれにしても比較的高いところで、見渡しがよい場所にあるのは間違いない。
 以下は、説明板を転載。

【説明板・転載はじめ】
 中標津神社チャシ跡
 チャシとは・・・。もともと「チャシ」という言葉は「柵」「柵囲」を意味するアイヌ語です。その多くには「濠(ごう)」と呼ばれる堀をめぐらせた跡があり、16〜18世紀頃に造られました。一般的にはアイヌの人々の「砦」や「城」などと呼ばれていますが、その他にも聖域、見張り場所、狩猟や漁労に関する祭場、チャランケ(談判)などの場所としての機能があると言われているため、地域や立地、造られた時期などによって、その性格は変わってくるものと思われます。
 なお、中標津町内には、このチャシを含めて6か所のチャシが見つかっています。
【転載終了】
  

 
 
 
 
   
 
 
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