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厚真町(桜丘チャシ跡)
(厚真町役場〜桜丘チャシ跡〜厚真町役場)

 平成31年5月2日(木祝) 9.5km 1時間18分
 
 休日で時間ができたので、厚真町を訪問し、桜丘チャシを走って訪問することにする。
 厚真町まで車が来るが、田んぼの向こうに昨年9月の地震の爪痕が残っている。役場に車を停めて桜丘方面に走り始める。突き当りのお寺のところを右折してダムの方に向かう。タブレットでチャシの場所を確認すると一本道が違い、引き返して狭い沢の道路を走る。両サイドに昨年地震の土砂崩れの跡がやたらと見えるようになり、正面に緊急で作った砂防ダムが見えてきて、その脇を走っていくと土砂で壊れた人家が見えるようになった。
 やがて左手にチャシ跡の看板が見えてきた。チャシは左側の小山を登ったところのようだが、土砂崩れで道が無くなっている箇所がある。すこし危険だが大地震が来なければ大丈夫だろうと考え、土砂崩れの上部のところをトラバースして小山の頂上に向かう。小山の上は崩れておらず、稜線沿いに小道を走ると明瞭な濠があり、濠を越えると、丘の突端に到着した。ここから、厚真の街や田んぼを見渡たせる素晴らしい景色だ。ここで古代の人々が見張っていただろうとしばらくたたずみ、同じ道を引き返して役場に走って帰る。

【看板の転載はじめ】
 厚真町埋蔵文化財包蔵地
 先住民族アイヌの人たちが残した砦跡 桜丘チャシ跡
 
 チャシとは、丘の一部を濠や溝で区切り、戦いの砦や祈りの場などとして使われた北海道の先住民族アイヌの人たちの歴史文化を代表する遺跡で、道内ではおよそ500か所以上が確認されています。その中でも桜丘チャシ跡は空堀も深く、規模が大きい戦闘用のチャシ跡です。
 発掘調査の結果、350万年前にアイヌ民族と和人(松前藩)が戦った「シャクシャインの戦い」より前の時代で約500年前に造られた可能性が高いことが判りました。また先端部のテラス状の構造帯は丘の先端部を切土造成し、全面の防御機能を高める溝を構築していました。
 さらには、より古い地層から土器や矢じりも出土していたことから約4,300年前の縄文時代の人々もこの見晴らしの良い高い丘を利用していたこともわかりました。
【転載終了】 

   
   
   
 
   
   
 
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