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雄別鉄道跡(湿原の夢ロード)・北斗遺跡
【ふみぞの湯(釧路市文苑)〜鶴見橋〜雄別鉄道跡〜鶴野駅跡〜北斗遺跡〜道道53号線〜(雄別鉄道跡に戻る)〜山花駅跡〜桜田駅跡〜阿寒】

 令和元年11月23日(土祝) 9時48分発 35.9km 4時間27分
 
 釧路のラン仲間二人と雄別鉄道跡を走ることに。ここは「歩鉄の達人」さんのページに詳しく、いつかは釧路市内から旧阿寒町まで走ってみたいと思っていた。以下、「歩鉄の達人」から転載。

http://www.hotetu.net/haisen/Hokkaido/100711yubetutetudou.html へのリンク

「雄別鉄道(ゆうべつてつどう)は、北海道釧路支庁管内釧路市の根室本線釧路駅から、同管内阿寒郡阿寒町(現・釧路市阿寒町)の雄別炭山駅までを結んでいた鉄道路線などを運営していた炭鉱鉄道会社。東証一部上場企業であった雄別炭礦の子会社にあたり、三菱グループに属していた。親会社の雄別炭礦は、当時の炭鉱会社の中では多角経営の進んだ会社という評価がなされていたが、1969年、茂尻鉱にて人身事故を起こしたことで茂尻鉱が廃坑に追い込まれた。これが引き金となり翌年の(1970年)1月には、2月以降の社員への給与支払いの見通しもたたなくなるほど資金繰りが急速に悪化した。これが原因で親会社の雄別炭礦が閉山し、同年4月に住人の移転作業が終了し鉄道業務も停止した。」

 9時に釧路町阿寒行政センターに集合し、車1台を置いて釧路のふみぞの湯までもう一台で走り、そこから走り始める。すぐに鶴見橋にさしかかる。雲ひとつない青空と釧路川が美しい。道道113号線、通称雄鉄線通りをしばらく走り、昭和南4丁目のセイコーマートから斜めに左折すると、「釧路阿寒自転車道」=雄別鉄道跡だ。道路には街路樹があり、とても美しい。仁々志別川沿いをしばらく進み、左手の鳥取ドームを過ぎると、街並みがなくなり湿原の中に入っていく。そして、しばらくすると鶴野休憩所=旧鶴野駅に到着した。旧鶴野駅にはホームらしき構築物が残されている。そして、そこから少し走り、高規格道路の手前で、古びた橋台跡が残っていた。ここは鶴居村営軌道と交差するところだという。
 そこからしばらく走り、皆と相談して少し遠回りになるが、釧路湿原道路を通って北斗遺跡と展望台に向かうことにした。湿原道路の北西側の曲線部から木道がつながっており、そこから遺跡に向かう。階段を上っていき、段丘の上の台地に到着すると、擦文時代の竪穴が数多く残っており、また復元住居跡が複数残っていた。
 この地は釧路湿原を見渡す素晴らしいところに立地している。説明版によると1万年ほど前の縄文海進で現在の湿原は海で、海と山の幸に恵まれた狩猟民族にとっては絶好の立地条件だったという。あと、個人的には遠くを見渡せるので、敵の動向を素早く発見しやすい地だっと推察。
 遺跡を後にして、何か所かの展望台を訪問する。湿原展望台のところは二等三角点であり、ピークハンターとしては少しラッキーであった。道道53号線を南下し、自転車道に戻る。この時点でまだ17q、少し疲れたが次の山花駅跡まで頑張って走ることにする。
 少し走ると神社があった。お参りして神社の看板を見ると「平戸前神社」。ネットで由緒等を調べても出てこない。この辺の地は長崎の平戸から入植したのだろうかと想像しながら走り始める。
 山花の交差点のところには「マルシェ山花」があり、ここでシュークリームと蜂蜜ソフトを食べて小休止。少し寒かったが、甘いものを食べて少し元気が出る。
 その後、山花温泉リフレを通り、桜田駅跡を経由して、最後は結構ヘロヘロになりながら、湿原の夢ロードの執着地、阿寒地区に到着。
 雄別線跡は、ランニングコースとしては500mごとに標識もあり素晴らしいが、線路の史跡が数少なく物足りなかったが、北斗遺跡を訪問できたので、よしとしよう。

   
   
   
   
   
   
   
   
 
   
   
   
 
   
   
   
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