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中標津町(330アリーナ〜中標津空港〜木材工場〜俣落〜当幌〜中標津町)

 令和2年2月24日(月祝) 22.3km 2時間45分
 
 世の中は新型コロナで戦々恐々であるが、中標津まで長躯して走ることに。今日の目的地はいつも中標津十二楽走の皆さんといつも走っている開陽台ハーフマラソンコースの途中から俣落に抜けて、そこからさらに南下し当幌に行き、当幌神社と当幌駅跡を訪問することだ。
 10時少し前に330アリーナを出発。いつも走っている中標津空港を横切り、材木工場で左折し、西に果てしなく向かう。ここから車の通りが一気に少なくなる。しばらく走ると、開陽台ハーフの下りコースを横断する。ここからは舗装でなくダートになり、人気が少なくちょっと心配だが車が通った跡もあり、人家もあるので安心だ。酪農家の堆肥舎のところにタンチョウ鶴がいた。しばらく走ると俣落西5条通りに突き当り、そこから左折して南下して標津川手前で小さな道に右折し、道道中標津標茶線に向かう。途中ごみ処理場を通ると、道道に突き当たった。ここから中標津方面に向かわず、計根別方面に500m行くと当幌市街に到着した。ここからさらに500mほど西に向かうと当幌神社があった。
 当幌神社の由緒はネットで調べてもよくわからない。そこから引き返して、当別市街のバス停のところに到着すると、そこは当幌駅跡だった。
 ウイキペディアによると、当幌はアイヌ語で「トホロ」、川がホロで、トホロは「沼・川」の意味だという。当幌駅は、昭和12年に標津線の駅として開業、昭和61年に無人化、平成元年に標津線全線廃止に伴い駅も廃止とのこと。説明板や遺構がなく残念だが、当幌をあとにして中標津市街に走ると、左側の林の奥に標津線跡とおぼしき築堤があった。また、中標津市街に入り、ボーリング場跡のしたのところにもおそらく標津線跡らしきものを見つけた。  
 
   
 
 
 
   
   
 
 
 
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