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札幌市(家〜(宮の森・二十四条通り)〜北24条東25丁目〜丘珠〜大谷学園サッカー場〜十軒神社〜篠路駅)

 令和2年5月3日(日)16.0km 2時間13分

 三男が大谷高校に入学したが、まだ学校が再開できていない。しかし、丘珠のサッカー練習場には通って練習しているようなので、走って訪問することに。家から宮の森二十四条通りを果てしなく東に走っていく。東25条辺りに到着し、篠路に抜ける旧道を北上すると、古い標柱「庚申塚入り口、是より東一五〇米」を発見した。ここの庚申塚は以前にも訪問しているが、この古い標柱を見つけるのは初めてだ。
 そこから、少し北上すると蕎麦カフェ「HAN」を見つけたので入ってみる。腹が減っていたのでよく調べないで入ったのが失敗だった。普通盛が650円、大盛で950円で300円の差はでかいなと思い、写メをとって食べる。コシがあってうまいなと思い、食べ終わり、「ごちそうさまでした!」と気持ちよい声で店を出ようとすると、ぶっきらぼうな店主が「写真禁止ですから、削除してください」だって。今時そんな店あるのか?と思い、もう絶対来ない、少しムッとして店を出た。
 ランニングを再開し、しばらく心のわだかまりが抜けなかったが、丘珠の街に入るころには忘れてて来た。道道花畔札幌線の少し北東側に大谷高校のグラウンドがあった。そこを確認し、玉ねぎ畑の農道を篠路に向かうと十軒神社に辿り着いた。この辺の開拓が明治4年というから北海道では早い方だ。以下、開拓の碑などを転載する。

【転載はじめ】・・・十軒開基120年記念碑
 碑文
 明治4年5月南部藩士 瀬川喜彌太 金田市勝治 佐藤善吉 瀬川友治 釜石勇七 佐々木萬蔵 大畑善次郎 佐々木儀七 宮野勝蔵 太田賢蔵の十名は家族を伴い渡道 此の地に居を構えて十軒と呼称し 部落の発足を見た 依頼幾星霜を重ねて今年120周年を迎えるに当り 先人の労苦を偲び其の開拓的精神の後世に永く伝承される事を願い茲に記念碑を建立した 平成三年九月五日 十軒町内会
【転載終了】
 
 その開拓碑の向かいに「大萱生家の由緒」なる碑があった。

【転載はじめ】・・・大萱生家の由緒
 出身地 盛岡市大ヶ生
 藤原秀郷流相州河村城主河村山城権守秀高四男秀清源頼朝奥州合戦に出陣功有岩手県紫波郡外領有末裔大萱生玄蕃秀重が始祖明治十四年六月十六日南部盛岡藩士秀行開拓を決意当地に移住以来秀治・秀弥遺志を継ぎ茲に百二十周年を記念し建立する
 平成十三年六月十六日 大萱生茂 博 栄 寿
   
  
   
   
   
 
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