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札幌市【福住駅〜用水記念碑〜清田緑地〜厚別神社〜(北野通)〜すすきの〜大通〜札幌駅】

令和3年4月25日(日)17.7km 2時間33分

 昨日、仕事で呼び戻され走れなかった福住から清田の方に走る。36号線から旧36号線に入ると桜が綺麗だ。ここは以前も来たことがあるので、説明は割愛する。厚別川沿い、コカ・コーラの工場の裏に用水碑があった。

【用水記念碑】
 碑面には、「開鑿 参十年 大正八年十月之建 用水記念碑」と刻まれた下側に、「功労者 吉田善太郎君 諸橋亀吉君 山崎銀之助君 山本喜兵衛君」と添えられています。碑の背面には、凹部に文字が刻まれていますが、風化が著しく解読が困難です。「さっぽろ文庫45 札幌の碑」によれば、「山崎新助 白石用水組合一同 (以下不明)」と刻まれているものと思われます。この碑は、元は厚別川の土手に建てられていて、現在地に移されたもののようです。かつて、広大な水田地帯として栄えた清田地区を作り上げたのは、この地域に広がる農場主であった吉田善太郎氏の名前から吉田用水と呼ばれた、延長約5キロメートルにも及ぶ手掘りの用水路でした。

 また旧36号線に引き返し、すぐに左折すると林の中に「厚別神社発祥乃地」碑があった。その碑がある林は清田緑地である。林の中に小道があったので進む。小さいながら立派な緑地だ。緑地内を散策しまた旧36号線に戻り、厚別神社を訪問する。ここは「あつべつ」とは読まず「あしりべつ」と読むのだ。
 ここの神社は小高い段丘上にある。参道の途中に「厚別神社鎮座百年」記念碑があった。記念碑には堂垣内尚宏と書かれており、裏面には「奉献 厚別神社役員3名の氏名 昭和50年9月12日 沿革明治6年9月12日創建」と刻まれている。
 神社内には土俵があり、その傍に「上相撲記念」碑がある。上台の正面には「島千鳥」という四股名が刻まれている。背面には「厚別住民 佐々木喜太郎」と刻まれ「厚別有志一同 南通奥石山 キ職工一同 石工 笈田想太郎 丹保清松 大正十三年九月」と刻まれている。

 次に「「拓」と呼ばれている「清田開基百年碑」と呼ばれている碑を訪問した。白御影で造られた2本の石柱のくぼみに、「拓」という一文字が刻まれた黒御影石がはめ込まれています。その碑面の文字の横には、「札幌市長 板垣武四 書」と添えられている。
 碑の背面には、「風雪百年人跡未踏のこの地が開拓の鍬を入れてより一世紀ここに今日の繁栄をみるは先人の血と汗にまみれた尊い開拓魂の結集の賜である茲に開基百年を迎えその功績と遺徳を偲び記念碑を建立し永く後世に伝える 昭和五十年九月十二日 清田地区開基百年記念事業実行委員会々長 見上権治郎」と刻まれています。清田のこの地一帯は、開拓当時はアシリベツと呼ばれていました。長岡重治氏が開拓の一歩を刻んだのは明治6年。清田は集団入植が行われなかったことから遅々として開拓が進まず、集落の体をなしたのは明治34年ころになってからだったそうだ。

 厚別神社の社殿の横には、忠魂碑があったが、これには触れないことにする。
 その後北野通、豊平、すすきの、大通、札幌駅に向かい、バスで家に帰る。
  
   
   
   
   
   
   
   
   
  
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