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北広島市散策(恵み野駅〜国道36号線〜島松Bチャシ〜島松川左岸チャシ〜北広島駅)

令和3年5月3日(月祝)15.0km 2時間1分

 今日は昼から外で焼き肉なので、午前中急いでチャシ訪問ランニングへ。JRで恵み野駅に移動し、国道36号線を北上し、島松駅逓所跡の道路を下っていく。お地蔵など並んでいる裏側の丘が島松Bチャシであった。しかし、チャシ全体は工事により原形をとどめていない。一般の人は立ち入り禁止となっている階段を登り、頂上から島松の沢を見下ろす。チャシらしく、島松川の上流下流を見渡せ、展望が良い。
 家系城郭研究所さんによると、2015年度に崩落防止の工事がなされてそうで、その前に実施された発掘調査で、縄文時代の遺物が発掘されたそうだ。

http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/siro/sub3-3.htm
「2011年5月に長雨の影響でチャシ跡の崖の一部が崩れ、緊急崩落防止工事を行ったが、恒久的な対策が必要とのことで、2013年に試掘調査、14年に発掘調査を行ったそうです。その際に緩いカーブを描いた壕状の遺構が発掘され、周辺から出土した土器などの遺物から縄文時代の環壕と思われ、総延長は40mを越え、幅は最大3m、深さは最深1.5mあるそうです。2015年度には崖面の崩落防止工事を予定されている。」

【島松Bチャシ】
・城 跡 名:島松Bチャシ
・所 在 地:北海道恵庭市西島松
        マップコート:230 305 302*85
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形  態:丘先式
・主な遺構:空壕(弧状2条)
・大きさ標高:標高60m、比高30m
・説明板:なし
・概要「日本城郭体系」(昭和55年)
 国道36号線を南下して広島町を過ぎる頃に右手前方に標高60mほどの平坦な大地が見えてくる。島松チャシはこの大地の東端にある。この大地の北側を西から東へ島松川が流れており、広島町と恵庭市との境界線ともなっている。
 島松川流域には、もう一つのチャシがある。このチャシの東方約1200mの地点の島松左岸チャシである。
 島松チャシは、島松川右岸段丘にあって、現在、山林の中にゆるやかな弧を描く浅い二条の壕をみることができる。この二条の壕は崖面に断面が見えるため、段丘下の国道からも眺めることができる。しかしながら、壕はかつて道路工事によって一部削土され、しかも自然崩落も進んでいるため、チャシの平面形は構築期とはかなりちがったものとなっている。このチャシはいまだ発掘調査が実施されておらず、しかも伝承もないので、構築時期・機能などは判然としない。

 島松Bチャシをあとにし、高速道路の下をくぐると。採石場後だった。札幌の硬石山だけではなく、この辺も石が採れたのだ。島松川沿いをさらに下っていく。このへんは酪農家が多い。そうしている中、説明板を見つけた。なんと島松左岸チャシである。思いもかけず見つけることができたの、とてもラッキーである。しかし、チャシ自体は農地の向こうの河岸段丘上らしく、判然としない。まあそれでも思いもかけずチャシをみつけることができ良しとしよう。

【島松左岸チャシ】
・城 跡 名:島松左岸チャシ
・所 在 地:北海道北広島市島松44-1
        マップコート:113 824 868*57
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形  態:面崖式
・主な遺構:空壕(C状1条)
・大きさ 35m×25m
・標高50m、比高30m
・説明板:チャシはアイヌ文化期の遺跡で、アイヌ語で砦・館・柵などのいみがあります。壕を掘る、または地形を利用するなどして区画された場所を言い、砦や儀礼、裁判、「送り」や見張りの場などに使われました。
 「島松川左岸チャシ跡」は島松川に沿った丘陵上にある独立丘を利用して築かれたもので、丘頂式と呼ばれています。18世紀ころまで使われていたと考えられています。市内には「中の沢チャシ跡」と合わせて2つのチャシがあります。
・概要(日本城郭体系)
 支笏火山起源の火山砕屑大地を回析し、広島町と恵庭市の境界をほぼ東流して石狩川の支流千歳川に注ぐ島松川左岸の丘陵上に島松川左岸チャシは立地する。島松川との比高は約30mである。島松川は河川改修工事が終っており、チャシから約100mほどの南を水田中を流下しているが、チャシの南西側にある崖状急傾斜面直下には、川が北側に大きくU字状に蛇行していいたことを示す旧流路の帯状湿地が残っており、かつてはここを流れていたものと思われる。
 このちゃしは丘陵南西端にあり、幅約4m、深さ約1m、長さ約45mの比較的に緩やかに落ち込むC字状の空堀によって区画されている。壕は連結せず、南西側の崖状急傾斜面に開いている。壕の内部は、壕寄り約5mの比高で、小丘を思わせる台地上の高まりをみせ、上面は長軸約20m、短軸約10mの楕円形の平坦面を持つ。北海道教育委員会が昭和49年に発掘した釧路村のの遠矢第二チャシに平面形態は似ているが、壕の内部が周囲より高いのが特色である。山林となっておりよく保存されている。

 島松川左岸チャシを後にし、北広島市の田園地帯を走って、北広島駅に向かう。
 
 島松Bチャシ
   
  
 
 
 
 
   
島松川左岸チャシ 
 
 
 
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