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むかわ町穂別市街〜和泉地区〜豊田地区往復(オソウシチャシ跡、トロスチャシ跡、ノットカチャシ跡)

令和3年5月4日(火祝)17.0km 2時間18分

 むかわ町穂別周辺のチャシの分布図をネットで見つけた。痕跡を探すことができるかどうかわからないが、走ってみることにした。
 市街地からすぐ南の国道沿いにオソウシチャシ跡があるはずだが、畑が広がっておりよくわからない。

【オソウシチャシ(カイクマのチャシコツ)】
・城 跡 名:オソウシチャシ
・所 在 地:北海道むかわ町穂別
        マップコート:
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形  態:丘先式
・主な遺構:壕(弧状1条)
・大きさ:100m×60m
・標高:標高93m、比高40m
・説明板:なし
・概要「日本城郭体系」(昭和55年)
 オソウシのチャシコツは、鵡川の右岸段丘上にある丘先式1条壕のチャシである。壕から台地先端までは約40mで、チャシ跡としては平均的な大きさである。平面形は、先端が細くなる西洋梨形をしている。チャシ跡の西側は鵡川の河原が広がり、東側には川尻が小さな滝になった小沢がある。オ・ソ・ウシ(川尻に・滝が・ある)の地名はこの小沢によるものと思われる。
 現在、チャシ跡から川の流れまでは約200mの距離があるが、昭和30年の洪水以前には、このチャシ跡の直下に川が流れていたといわれる。また、後背地は畑地になっているものの、周囲が雑木林に囲まれているせいか、河原から道路からもも目立つところがなく、外見的に目立るところがなく、外見的に特徴の少ないチャシ跡である。

 オソウシチャシの少し南側は、トロスチャシのはずだが、これもまたよくわからない。地図上では、国道から少し離れたところにあるので、分からないのも当然かもしれない。

【トロスチャシ】
・城 跡 名:トロスチャシ
・所 在 地:北海道むかわ町穂別
        マップコート:
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形  態:丘先式
・主な遺構:壕(弧状1条)
・大きさ:不明
・標高・比高:不明
・説明板:なし
・概要「日本城郭体系」(昭和55年)
 とロスのチャシは、オソウシのチャシコツの下流、約500mの位置にある。鵡川が蛇行して段丘崖を浸食し、モイ地形を作っている直上にある。先端が直角に近い広い台地のコーナーを弧状壕一条で区切っている。現在、壕の形状は一部過去の発掘調査溝のため、複雑な状況を呈しているが、本来はシンプルなものであったらしい。平面形は直角三角形ないし扇形に近いものとみられ、沙流川のポロモイチャシに似ている。壕は埋没のせいか、浅い。上流側の側面は浸食のため、直壁に近い状況であり、崩落の危険がある。
 トロスのチャシは、鵡川本流に突き出した地形にあるが、対岸の日本の小沢に挟まれ、やや奥まった細長い舌状台地状にはチチャップチャシがある。これも一条壕のチャシ跡である。

 チャシ跡を見つけられず、和泉集落を過ぎて、豊田集落へ向かうため、国道から町道に右折する。追い風から向かい風になりきつくなってきたが、誰にも会わない豊田集落を通り過ぎ、さらに南に進んでいくと、ノットカチャシ跡らしき川に舌状に突き出した河岸段丘が見えてきた。ここがノットカチャシ跡で間違いないだろうと推測。日本城郭体系によると国鉄富内線が走っていて、トンネルの上にチャシがあったそうで。現在の道路がそうだったろうと推測。しかし、崖状に踏み跡があり、ロープが垂れ下がっているのを見つけ、何とか登ってみると、台地の上に辿り着いた。濠等は見つからなかったが、おそらくチャシだと推測する。

【ノットカチャシ】
・城 跡 名:ノットカチャシ(キナウシのチャシコツ、トンネル上のチャシコツ)
・所 在 地:北海道むかわ町穂別道有林
        マップコート:
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形  態:面崖式
・主な遺構:壕(くの字1条)
・大きさ:4m×12m
・標高:85m・比高:不明
・説明板:なし
・概要・伝説:「日本城郭体系」
 穂別市街から南に約7km、国鉄富内線豊田駅から1kmほど南の鵡川が弧状に蛇行している右岸の河岸段丘上にノットカのチャシコツがある。チャシは舌状に張り出している北側崖面に面し、ちょうど富内線のトンネル上にある。そのため、トンネル上のチャシコツとも呼ばれている。壕は方形状の一条壕で、規模は約4m×約12m、幅は約1m、北東の方向に開いている。前面の崖面はトンネル工事のため、一部は削除され、また北側の壕の部分も崩壊している。これらの考慮しても、壕の内側の面積はかなり狭かったと考えられる。
 更科源蔵の「穂別町史」に「ポロヌタップの砦」という伝説がある。トンネルの上には神(カムイ)の砦(チャシ)と人間(アイヌ)の砦があり、人間の砦にはポキナウという背の長い酋長がいた、という。ある日、砦の女たちが川岸の畑で働いていると、川上からしきりに蕗の葉が流れてきた。女たちは危険を感じて砦へ逃げたところ、野盗たちが現れ、砦を取り囲んだ。砦の守りが固く、容易に落ちないので、野盗たちは砦の水を断とうと、川の水を汲む釣瓶の縄を切った。しかし、砦には内井戸の用意があり、食糧も豊富にあったので、長期戦に耐えることができた。そして、ある日、砦の上に酋長ポキナウが現れ、槍の柄で目の前に下がっている長い眉毛を持ちあげて、「どうだ、この砦をおとすことはできまい」といってあざ笑った。女たちも砦の上に現れて魔物を追う時のように、尻をまくって着物の裾をバサバサと振ってみせた。そのため攻め手の野盗たちもしょげかえって退却してしまった、という内容である。
 このポロヌタップの土地は、昔、オキクルミという文化神が穀物を入れた容器を忘れていった所で、非常に穀物のよく実る場所といわれている。

 地図上ではノットカチャシの近くに豊田2チャシがあるはずだが、これも勿論わからなかった。帰りはもろ向かい風で登りできついが、何とか穂別市街に到着。腹が減ったので穂別で何か食べるところがないかスマホで調べると、車を駐車しているすぐそばの「峰」という喫茶店があった。入ってみると家族連れで賑わっている。自分はハンバーグスパゲッティを注文。中々の盛で旨かった。
 腹ごしらえをした後、車で鵡川右岸を散策することに。市街地から南の田園地帯の端にチチャップチャシがあるはずで、その推定される尾根を写真に収めるが、後で調べると全然違う場所だった。また穂別には来ることにしよう。

 
  
 いずれもどこのチャシかは同定されていない。
   
   
ノットカチャシ 
  
 
   
   
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