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夕張鉄道跡探索(夕張本町駅〜末広駅〜鹿ノ谷駅〜営林署前駅〜夕製前駅〜礦業所前駅〜平和駅)

令和3年5月8日(土) 17.5km 3時間20分(ランニングの記録であり、鉄道跡の距離ではない)
 
 ※参考としたページ
https://www.hotetu.net/haisen/Hokkaido/090926yuubaritetudou.html へのリンク

 平和運動公園に車を停めて、夕張市役所を目指して走る。数年前に来た時よりもさらに寂れている。本町の一番北側に炭鉱殉職者追悼の碑を見つけた。そして市役所の東側には、レトロな簗詰醫院を見つけた。川側の建物が崩壊している。なお、市内のあちこちに崩壊している建物が散見された。市役所も建物は立派だが、中が乱雑としている。また、昭和2年設置の馬頭観音碑、「昭和十七年二月二十五日戦死於上海郊外・・・歩兵上等兵勲八等功七級細田弥太郎君の碑」」も見つけた。夕張も歴史がある。

 そして、夕張鉄道の概要を「歩鉄の達人」さんから転載させていただく。

【夕張鉄道】
 夕張鉄道は、北海道炭礦汽船(北炭。以前の北海道炭礦鉄道)が同社の事業用資材や石炭を輸送する目的で大正10年(1921年)に設立された。北海道石狩支庁管内江別市の函館本線野幌駅から、空知支庁管内夕張郡栗山町の室蘭本線栗山駅、同支庁管内夕張市の夕張線(現・石勝線)鹿ノ谷駅を経て同市の夕張本町駅までを結んでいた。1975年に全線が廃止された。大正15年(1926年)に開業した夕張鉄道線では旅客サービスにも力を入れ、昭和27年(1952年)に気動車を導入、さらに翌年には北海道初の液体式気動車を導入した。昭和36年(1961年)には国鉄の準急「夕張」に対抗して急行列車を運行した。気動車による札幌駅までの直通運転を計画し、当時の国鉄に気動車の寄付を前提に札幌への乗り入れを要請するも、国鉄に断られた逸話も残されている。また、錦沢駅に開設した錦沢遊園地は、夕張随一の行楽地として賑わった。昭和37年(1962年)頃より、石炭産業の衰退により沿線の炭礦で合理化や閉山が進み、貨物輸送が減り始めた。加えてバス路線の整備やマイカーの普及、閉山による人口の減少に伴い旅客輸送も激減し、昭和46年(1971年)11月には鹿ノ谷 - 夕張本町間の鉄道営業と鹿ノ谷 - 栗山間の旅客営業を廃止した。残された野幌 - 栗山間も昭和49年(1974年)3月末をもって旅客営業を休止し、親会社の北海道炭礦汽船に譲渡した。夕張鉄道線は昭和50年(1975年)3月末、沿線で最後まで操業していた北炭平和炭鉱の閉山に伴い、全線が廃止された。
 駅一覧
 野幌駅 - 北海鋼機前駅 - 上江別駅 - 下の月駅 -晩翠駅 - 南幌駅 - 双葉駅 - 北長沼駅 - 中央農試前駅 - 栗山駅 - 角田駅 - 継立駅 - 新二岐駅 - 錦沢駅- 平和駅 - 礦業所前駅 - 夕製前駅 - 若菜駅 - 営林署前駅 - 鹿ノ谷駅 - 末広駅 - 夕張本町駅

 夕張本町駅は、市役所の西側にあった(1)。夕張鉄道線の旅客部門合理化に伴い1971年に廃止された。単式ホーム1面1線を有する地上駅で終日駅員が配置されていた。
 末広駅は、夕張本町駅のすぐ南側、現状セイコーマートのあるところにあった。無人駅で1971年に廃止された(2)。
 JRの夕張駅跡は、夕張鉄道の駅ではないが立ち寄った。2019年4月1日に廃止。屋台村で黒ラーメンなるものを食べたが、?が伸びており、スープも普通であまり美味しいとは言えなかった(3)。
 鹿の谷駅まで、JRの左側(東側)を走ると、JRのとは別の古い橋梁が見え、そこから自転車道路の舗装があった。恐らくそこが夕張鉄道なのだろうと思い走る(4)。
 廃止となったJR鹿の谷駅が残っていた。夕張鉄道の鹿の谷駅も併設されていたのだろうか(5)。その次に営林署前駅をめざすが、よくわからず推測で写真を撮影(6)。
 その次に若菜駅を目指す。歩鉄の達人さんによると夕鉄バスターミナル(7)の近くだというが、中々見つけられず、それでも南進すると駅のプラットホーム跡が残っていた(8)。
 さらに南下し、桜並木(9)を過ぎると丘の上に幸せの黄色いハンカチがなびいていた(10)。しばらくすると道路と交差するところが夕製前駅である(11)。今でも周辺に夕張製作所が残っている。 ここから一端道路に出て、また自転車道路に右折し、虹ヶ丘跨線橋(12)を渡ると平和運動公園である。ここは礦業所前駅跡であり、周辺に北炭平和炭鉱があった。現在は運動公園として整備されている。虹ヶ丘跨線橋を渡り公園の中を走っていく(13)。
 公園の中の橋梁(14)を過ぎ、山間が近くなり建物が残っているが、そこが平和駅である(15)。北炭平和炭鉱の石炭積み出し駅であり、北炭平和炭鉱専用鉄道が分岐し、入れ替えや補機業務の蒸気機関車が待機していたそうだ。 
 そこからしばらく走ると、サイクリングロードが通行止めとなっていた(16)。行けなくはないが、山間に入り、人里でもなくなり、熊が怖いのでここで探索をやめる。
 

   
   
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