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室蘭市(道の駅みたら〜絵鞆岬〜エンルムチャシ〜ポンエンルムチャシ〜ハシナウシチャシ〜祝津公園)

令和3年6月19日(土)6km 58分

 先週来た室蘭の3カ所のチャシを再確認するため再訪。道の駅みたらに車を停めて、絵鞆岬に向かう。途中、宮越屋珈琲が立地している岬はハシナウシチャシではなく、ポンエンルムチャシなのだろうか。そうすると、ハシナウシチャシは道の駅や水族館の方面になるが、日本城郭体系のとおり開発されて現存していない。
 絵鞆岬に到着。日本城郭体系によると岬自体がチャシではなく、岬から西側の海に向かって行く丘がそうなのだろうと同定する。

【エンルムチャシ】
・城 跡 名:エンルムチャシ
・所 在 地:北海道室蘭市絵鞆町2丁目2-11
        マップコート:159 277 849*81
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形  態:丘先式
・主な遺構:空壕(弧状1条)
・大きさ60m×40m
・標高:不明、比高:不明
・説明板:あり(上記の通り)
・伝説:彼等の口碑によれば、其の昔戦争ありし掘りたる濠なりという。
・概要:
 エンルムチャシ、ポンエンルムチャシ、ハシナウシチャシの三つのチャシは、室蘭港を南から抱え込む室蘭半島先端、噴火湾に突き出たエンルム岬のほぼ、千数百メートルにわたる海岸線の台地上にあった。現在は室蘭市の市街化によって、その形状はほとんど見ることができない。
(略)
 ハシナウシは、「柴幣・群生する・所(柴幣の幣場のあるところ)」というアイヌ語地名で、海神を祀る幣場がここにあったので、この名がついたもの。また、エンルムは、「突き出ている・頭(岬)」という意である。
 「室蘭市」によると、室蘭市内には、今一つ「茶津のチャシ」があり、旧記類にもみられるが、昭和の初期、すでに破壊されてしまっており、いまは見ることができない。
  ※出展:「日本城郭体系(北海道・沖縄)」

【ポンエンルムチャシ】
・城 跡 名:ポンエンルムチャシ
・所 在 地:北海道室蘭市絵鞆町2丁目2-10
        マップコート:159 277 849*81
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形  態:丘先式
・主な遺構:空壕(L字1条)
・大きさ:20m×30m
標高:不明、比高:不明
・説明板:あり(上記の通り)
・伝説:なし
・概要:上記の通り
 
【ハシナウシチャシ】
・城 跡 名:ハシナウシチャシ
・所 在 地:北海道室蘭市絵鞆町1丁目15-1
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形  態:丘先式
・主な遺構:空壕(直状2条)
・大きさ:100m×30m
標高:不明、比高:不明
・説明板:あり(上記の通り)
・伝説:ハシナウス砦跡、此処の「アイヌ」に攻落され多くの「アイヌ」殺され死体は後方の山に埋むと云ふ。
・概要:上記の通り

 その後、絵鞆岬から祝津公園に登る。上記伝説に書かれているハシナウス砦の後方の山がこの祝津公園の山なのだろうか。
 祝津公園を下り、円形の絵鞆小学校を撮影して、車に戻る。
ポンエンルムチャシ? 
   
 エンルムチャシ?
   
祝津公園と遠景 
 
 
 
 
 絵鞆小学校
 
 
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