Toruトップ   >歴史    
令和3年(2021)10月24日(日)

芦別市(道の駅「スタープラザ芦別」→北の京芦別跡→旭ヶ丘公園→国道36号線南下→なまこ山登頂断念→道道芦別砂川線→国道452線→芦別駅→蘆別神社→道の駅) 11km1時間27分

 野花南チャシを訪問後、芦別市内を走ろうと思う。しかし訪問したい史跡がない。とりあえず道の駅に車を停めて、昔テレビコマーシャルでよく出ていた「北の京芦別」の方に走り出す。そこは、天徳育成会天徳院という宗教法人の所有物で立ち入り禁止になっている。こっそり入ることもできるが、やめて旭ヶ丘公園の方に走っていく。
 地図上は旭ヶ丘公園から川を渡る橋があるのだがないので、同じ道を引き返して国道36号線に向かう。国道36号線を富良野方面に走り、運動公園の近くにある「なまこ山」をめざすことにする。ヤマップでは陸橋下から登る記録がある。しかし、廃墟の木材置き場と藪が酷く登れそうにない。なまこ山も断念して、国道452線の方に向かって走ることにする。 
 今日の訪問ランニングは中々うまくいかない。国道452線を芦別市街に向かって走り、駅前を通って走る。ゴールの道の駅近くで蘆別神社に到着。本日、ようやく史跡らしいところに到着。この神社は木造の歴史ある風情だ。
 道の駅に帰り、車で新宝来軒に行って「ガタタンラーメン」を食べて札幌に帰る。

【蘆別神社の由緒】
 明治29年4月12日、大芦別の第二沢口団体の沼田次吉・畠野仁太郎が現在の神社の南西で鉄道を越した36線南9号付近に小祠を建立し、朝山・第二沢口の両団体で祭典を執り行っていた。翌30年、両団体は協議の結果、現在地である北3条西1丁目6番地に天照皇大神を奉斎して社を建立した。同38年9月14日、社殿改築の気運が高まり地区総会を開き神社建築委員を選出し、翌39年9月に社殿を改築、同年9月10日に無格社として公認された。御神体は天照皇大神宮の御軸だったが、同45年に伊勢神宮より御分霊を戴き奉斎した。大正3年2月23日に村社、昭和17年9月3日、郷社に列せられている。
 
   
   
   
   
   
歴史に戻る