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令和3年(2021)10月31日(日)

石狩市浜益区
浜益川下海浜公園〜荘内藩ハママシケ陣屋〜国道231号線を北上〜はまます郷土資料館の往復
 9時頃出発 10.9km 1時間38分

 今日も吉方である北方の史跡巡りランニング。本日は石狩市浜益区である。本日の訪問の主目的は、「荘内藩ハママシケ陣屋跡」と「はまます郷土資料館」である。
 浜益川下海浜公園に車を停めて走り出す。この季節にキャンプしてる人がいる。個人的な感想であるが、登山や旅の途中で仕方なくキャンプするが、わざわざ快適な家を抜け出してキャンプのためのキャンプは個人的には理解できない。まあ、人それぞれの趣味だから良しとしよう。
 さて目的地のハママシケ陣屋であるがiPhoneのマップで表示される道を辿っていくと、廃校の小学校を過ぎて墓場に到着。目指す目的地は川を渡った稜線の向こうである。藪を漕げば行けないことはないが、これはちょっと違うと思い、引き返し、改めてグーグルマップで検索すると、一つ東側の沢の方にヒットしたので、改めて目指す。
 川下の街を過ぎて内陸を目指すと、川下八幡神社があった。お参りすると神社の横に「鳥海山」「湯殿山」「羽黒山」、いわゆる出羽三山の石碑。遠く山形荘内の故郷を離れて北の厳寒地に来た人々が、故郷の山を思って石碑を建てたのだろう思い、感慨に浸る。
 ハママシケ陣屋は、同神社の横である。入口には建てられたばかりの白木の門が聳えていた。門に連なり土塁らしきものも残っている。古い門は浜益村開村100周年を記念して昭和46年に建てられたそうだが、老朽化で荘内藩陣屋研究会が太陽財団の助成を受けて今年の6月に建て直したそうだ。
 そして、新しい説明板があった。

【史跡荘内藩ハママシケ陣屋跡】
 指定年月日 昭和63年5月17日
 所在地:石狩市浜益区川下、柏木
 面積:167809.50u
 ロシアの南下により北方の緊張が高まった安政6(1859)年、幕府は奥羽六藩に蝦夷地警備を命じました。荘内藩(山形)には西蝦夷地が割り当てられ、万延元年(1860)年にハママシケ陣屋が設けられました。
 陣屋内は山肌を削って平らな場所をつくり、奉行長屋、神社、土蔵、湯屋などが建てられました。これらの造成した跡は今でもはっきりと確認することができます。「千両堀」と呼ばれる水路も掘られました。
 戊辰戦争の勃発により、慶応4(1868)年には総引き上げが始まり、9年に及ぶ荘内藩による陣屋経営は終りました。史跡荘内藩ハママシケ陣屋跡は、幕末の対外関係と蝦夷地開拓を現在に伝えています。

 その隣にも、新しい説明板があり、陣屋全体の概要図が描かれていた。

【@ハママシケ陣屋の概要】
 ハママシケ陣屋は、浜益平野と日本海の両方を見渡すことができる丘陵に造られていました。奉行長屋をはじめとする主要な施設は浜益平野に面した斜面に配置されており、斜面の中腹にある湧水から流れる沢の両側を階段状に造成して建物が建てられました。奉行長屋は浜益平野を見渡せる最も高い場所にあり、下るにつれ奉行、家中、目付、物頭、足軽と身分に従って住居が決められていました。

 陣屋が建てられていた場所は、北風や西風を防ぐための稜線が北側・西側にあり、説明板にある通り日本海と平野を見渡せる高台で、しかも湧水があり水が確保できる素晴らしい場所に設置されていた。
 奥の方に草刈りされ道がつながっており、歩いて行ってみることに。熊が心配だが狐と狸が出てきて少しびっくりした。陣屋内の建物が建てられていた場所には説明板があったが、シートで囲われていて残念だった。しかし、一番奥の奉行所跡まで辿り着くことができた。
 ハママシケ陣屋をあとにして、国道を北上し、浜益の市街を通って、はまます郷土資料館に到着した。ここの建物は鰊番屋を活用しているものである。開店は10時であり少し早かったが、入れてくれた。

【はまます郷土資料館】
 この建物は、もともと網元の白鳥家が経営していた鰊建網漁場の番屋で明治32年に建てられたものです。鰊の歴史とともに歩んだ番屋も、昭和30年以降の漁の衰退によって放置され崩壊寸前にありました。
 昭和46年旧浜益村は開村百年の記念事業として、この番屋を復元し浜益村郷土資料館としたものです。
 館内には当時、鰊漁場に使用された漁道具を主体にその中で生きた人々の知恵や技術を正しく伝える数々の資料を展示し、郷土文化遺産を明日の浜益へ受け継ぐ資料館として広く一般に公開しております。

【旧白鳥番屋】
 明治32(1899)年、白鳥浅吉が建設。木造平屋で、中央の入口をはさんで左右に漁夫の居住区と親方の住居が配置される典型的なニシン番屋建築です。
 白鳥浅吉は小樽の大網元白鳥永作の親類で、白鳥漁場は、番屋を初めとする諸施設が整っていること浜益随一と言われました。 
 昭和8(1933)年の合同漁業会社設立により、同社の事務所として使われました。同社が解散した後は、一時は荒廃していましたが、昭和46(1971)年開村百年を記念して修復され、郷土資料館となりました。
 昭和56(1981)年には浜益村指定文化財(現在は石狩市指定文化財)に指定されました。平成17年(2005)年には「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選出されています。
 
   
   
   
 
 
   
   
   
 
   
 
 
 
 
   
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