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令和3年(2021)12月12日(日)

奈井江町(奈井江神社、北小太郎氏顕彰碑、伊達邦直公上陸の碑)
奈井江町道の駅「ハウスヤルビ」〜奈井江神社〜伊達邦直公上陸の碑〜石狩川〜往復

9時半頃出発 10.0km 1時間29分
 
 今月の吉方が北東に変わり、空知管内で走ったことがない奈井江町内を走ることに。道の駅ハウスヤルビに車を停めて走り始める。すぐ近くの奈井江神社に参拝。明治25年埼玉県の移住者が拝殿を建てたことが創始だという。境内にはどこの地域でもある忠魂碑と説明用の石碑があった。詳しくは記さないが、大正11年に建立した碑が老朽化したため、昭和55年に立て替えたものらしい。
 その隣に、「顕彰碑」の石碑があった。漢文で次のとおり刻まれている。概略としては「加賀人の北小太郎氏が明治27年に入植し、20年にわたり農業振興、地域の発展に尽くした功績を顕彰」したということだろうか。
 奈井江からは、北政清、北修二、北良治など多くの政治家を輩出している。ひょっとしてこの北小太郎の末裔だろうと思い、ウイキペディアで調べると、政清氏は北小太郎氏の三男、修二氏と良治氏は政清氏の甥だった。

【顕彰碑】(以下、旧字体を新字体で記す。〇は読み取れない)
 故北小太郎氏加賀人明治二十七年移住本村爾来二十余年専盡〇干公共事業特以農業之改善興農民之発展自任〇盡策経営無到舎而其功績亦実有不可没者也慈同志者相謀建碑以永記念其公労実也

 奈井江神社を後に、道道278号線を西に向かい石狩川まで走ると途中に「伊達邦直公上陸の地」碑があった。

【伊達邦直公上陸の地碑】
 正面には「伊達邦直公上陸の地」と刻まれている。
 東側の側面には次のとおり漢文が刻まれている。「一伏軍門誓自新 飽嘗世味幾酸辛 多情石狩川頭月 猶照当年多罪人   明治三年五月十日 奈井江にて  仙台藩岩出山支藩家臣鵙(もず)目貫一郎の漢語」
 南側の背面には次のとおり刻まれている。「仙台藩岩出山支藩主伊達邦直一族は明治維新戊辰の役で朝敵とされ家臣の新天地を求める藩主は自ら典へられた土地踏査のため明治三年五月九日石狩川より奈井江に上陸し肥沃の地たるを認め五月十三日境界杭を立てたるも川口より四十里水路あれども運輸すこぶる困難足りとして此処を放棄し厚田のシップを経て当別を開拓した主従の上陸を記念する碑である  明治四十九年五月十三日 奈井江町名誉町民 奈井江町史編さん委員長 杉本正平書」
 西側の側面には、「奈井江町開基八十周年、開町三十周年記念事業として、この碑を建立する。昭和49年5月13日 奈井江町長 萬 敏夫」と記されている。
 石碑の横に説明板があったが石碑に刻まれている内容と同様なので省略する。

 帰りは、道道から一本北よりの田んぼの中の道道を走って街に帰る。一直線の向こうには奈井江市街とさらにその向こうには美唄山の頂上が聳えていた。
 
   
   
   
 
  
   
   
 
 
 
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