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令和4年(2022)5月21日(土) 三里塚神社、馬頭観世音大菩薩(大曲)

福住駅〜大曲〜北広島駅 16.9km 約2時間20分
 
 久々に土日きちんと休め、美瑛ヘルシーマラソンのハーフも近いので、長距離ランに出かける。当初福住から、島松の史跡巡りに行こうと思ったが、予想よりも走力が落ちており、北広島駅に真っすぐ向かうことにする。途中、2カ所神社にお参りできたから、良しとしよう。

【三里塚神社】
 当地域は札幌都心部より約12q隔てた東南地の丘陵地帯で、明治初年頃は地域全体に天然林が生い茂り、当時内地より開拓移住者が入植し立木を伐採し林業に従事の傍ら平坦地は畑に開墾、水源のあるところは、当時広島村島松沢の中山久蔵翁にならって米作をし農業と林業に鋤鍬を振った。高屋専太郎・北川徳兵衛・土門留吉・徳田廣太等が発起人となり、当時戸数40戸余の住民の安泰と職業繁栄守護を祈念し八幡大神(誉田別命)大山祇神を守り神として明治30年8月15日より毎年例祭を行ってきたが、町の発展に伴い昭和39年現在の社殿改築落成と同時に倉稲魂神を合祀し例祭日も9月15日に改め今日に至っている。

【100年の歴史をきざむ観音堂】
 この大曲馬頭観世音大菩薩の御本尊は明治33年、本州から大曲に開拓移民として入植した佐藤芳蔵、坂本利作、坂井次助、大橋次作らによって現在地大曲緑ヶ丘1丁目付近に御堂を建立し安置したのであります。
 当時は農耕をはじめ冬季間の木材、木炭運搬の過酷な仕事に馬を使いその労をねぎらうとともに、多くの畜魂の供養と安全を祈願し農耕を終えた7月17日を例祭日として草競馬をにぎやかに奉納したのが明治41年まで続きました。翌明治42年北口豊吉所有の現在地に移転しました。
 昭和31年老朽化著しい観音堂を心配された長谷川才一氏(小樽市)は新築寄贈を申し出られ地域をあげてお祝いしたのであります。平成8年8月御寄贈いただいた御堂も40年風雪に耐えてきたのでありますが、この度地域有志62年の方々のご寄付により観音堂の御造営落成の運びとなりました。
 大木に囲まれた小高い丘の上から100年にわたり、地域の住民はもとより、多くの開拓者のよりどころとして崇拝してきた馬頭観世音大菩薩はこれからも我々を見守りつづけてくれることでしょう。
 平成9年5月吉日 大曲馬頭観世音大菩薩御造営奉賛会
 
  
   
   
   
 
   
   
 
   
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