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令和4年(2022)12月4日(日) 

 家〜創成川の碑(原子隆)〜苗穂のメム〜植村澄三郎翁像〜札幌神社〜家

約17km 2時間30分

 今日も吉方の東方面に走って向かう。途中創成川のところで、「創成川」の碑を発見した。2011年の設置というからまだ新しいが、アイヌと開拓と自然の風景を醸し出す素晴らしい詩である。

【創成川】
 いにしえの
 きよらかな火で土器(かわらけ)焼いた縄文の民よ ムックリ奏でた アイヌ民族よ
 田畑耕した 開墾の民よ
 大自然と共に生きた いにしえの人の いさおし 今に伝えて 創成の川 流れ
 北半球の風に 魂さらし さらに美しい郷の創造 めざして
 大いなる都サッポロに生きる 私たちの 未来への夢つむぎ
 今日も先人の知恵の光 瀬々らいて 創成の川 なげれ

 今日の目的地は苗穂にある湧水(メム)だ。ここは写真撮影禁止で、写真をアップできないが、池をしっかり確認できてU-ターンする。
 帰りは、北2条通りを戻るが、サッポロファクトリーの永山武四郎邸側に胸像と小さな祠を発見。銅像はサッポロビールの前身、サッポロ麦酒設立の発起人の一人の植村澄三郎氏だった。

【植村澄三郎翁像】
 札幌麦酒設立の発起人の一人であり、明治を代表する実業家である澁澤栄一の知遇を受け、明治27年(1894)札幌麦酒株式会社の専務取締役に選任される。以後、明治39年(1906)3月の麦酒3社の大合同により大日本麦酒株式会社の誕生まで、実質的に社長として手腕をふるった。また、合同後の大日本麦酒では、馬越恭平社長に次ぐナンバー2として昭和5年まで24年間経営の重責を担った。長男植村甲午郎(第3代経団連会長)は、この地(北2条東4丁目)で育ち、昭和47年(1927年)札幌オリンピック冬季大会開催では、事務総長を務めた。

 その隣は、構内札幌神社であった。

【構内札幌神社縁起】
 明治45年(1912年)6月7日北海道総鎮守札幌神社(現北海道神宮)の祭神である、大國魂命、大己貴命、少彦名命の御三神を勧請し、大日本麦酒株式会社(現サッポロビール)札幌工場構内札幌神社と称号する。
 以来、サッポロビール工場・社員一同に崇敬され、現在はサッポロファクトリーの守護神としておまもりし、今日にいたっている。

 帰りに鬼滅の刃の無限列車のPRバスを発見。
 
   
 
 
   
  
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