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令和5年(2023)7月8日(土) 

中札内村(一本山352m、松浦武四郎の歌碑、サツナイウンクルの祖の像、上札内尋常高等小学校発祥の地、常盤開拓八十年記念碑)

約24km 3時間28分

 ただ走るだけでは面白くない。今日も吉方を訪ね、山を登り歴史に触れるランニング。

 今日は吉方の南西の中札内村に。中札内道の駅に車を停めて、札内川の西側の道路を一本山の方に走る。だんだん暑くなってきて、ペットボトル1本では足りなくなる。酪農家のオバちゃんがいたので、水を分けてもらうと、ペットボトルのお茶をもらえた。ありがたい。
 西札内に到着し、一本山の方へ。舗装が無くなり砂利道になり、山を迂回するように登っていく。熊が心配だが、日中は大丈夫だと信じて登る。駐車場を過ぎて木道の会談を登ると一本山の展望台へ。高所恐怖症なので登らないで降りることにする。
 松浦武四郎の歌碑が見つからないので、スマホで調べると、来た道とは違う反対側の方ではないかと考え、その刈跡を降りてみる。降りてみると水源地で迷ってしまった。また登りたくないので、さらに降りると来た道に合流した。少しひやひやしたが、来た道をもどり、砂防ダムの方に向かうと、松浦武四郎の歌碑、サツナイウンクルの祖の像があった。

【松浦武四郎の歌碑、サツナイウンクルの祖の像】
 説明板には、「サツナイウンクルの祖の像:一五〇〇年ころイシカリ ペペツ(美瑛川辺別)の人 モザルックがサツナイに住いしサツナイ族の祖となれり 先住民族アイヌの人々が和人の侵入で受けた苦難の歴史を偲びここにその像を建立し遺徳を讃える。松浦武四郎の碑:幕末の探検家、1858年旧暦七月十ニ日タイキより現西札内札内川左岸のサツナイコタンの乙名マウアカイノの家に一泊し鹿肉の馳走を受けた時に詠める歌なり。「此のあたり 一夜かりても 鹿の音を 今宵は近く 聞かましものを  伊勢 松浦竹四郎」。

 ここから、道道清水大樹線に出て、真っすぐ中札内村市街に走る。しかし、暑い。途中、石碑を二つ発見。

【上札内尋常高等小学校発祥之地(概要)】
 開校 明治42年6月20日、 閉校昭和30年9月1日

【開拓八十年記念碑(中札内常盤】
 常盤区は明治38年内海又吉氏等が入植したのが始り。続いて加賀団体等から入植。札内川の氾濫との戦い。・・・あとはよく読めない。昭和59年7月

 
  
    
 
   
   
  
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