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令和5年(2023)7月9日(日) 

釧路市(大楽毛駅〜陸軍大楽毛トーチカ跡〜神馬事記念館〜大楽毛家畜市場跡)

約11.6km 1時間44分
 ただ走るだけでは面白くない。今日も吉方を訪ね、歴史に触れるランニング。

 今日は吉方の南東の暑くない釧路市へ。大楽毛近辺の史跡を訪問。大楽毛駅に車を停めて、新大楽毛駅近くの陸軍大楽毛トーチカ跡へ。ここを訪問した後、大楽毛駅西側にある二つのトーチカを訪問したが、発見できなかった。
 最後に、以前仕事で訪問したことがある、神馬事記念館とその隣の大楽毛家畜市場跡へ。ここは、史跡の宝庫だった。

【住宅地の石碑3つ】左から
「君の名は・・・」「頑張れ」「太平洋戦争熾烈を極めた昭和二十年七月十五日に爆撃を受けた熊部隊将校宿舎」

【石碑】(表面)神馬事記念館 鈴木一謹書(裏面)昭和四十八年六月五日建立 増 神治三郎

【胸像】荒磯敏知(人偏に「知」)像(概要)
 (裏面)荒磯敏知師は明治34年5月石川県鳥越村に生れる。大正6年此の地大楽毛に来て伐採とともに牧場を営み馬匹の改良増殖に打ち込む。国を挙げて馬匹改良増殖の局面を迎え、先達の神八三郎氏等とともに政府関係者等の市道を得て釧路種の創出に成功。ここから数多くの実用馬を国内外に送り出した。戦後、釧路國馬事振興会会長として、北方農業の発展に尽くす。昭和24年より釧路市議会議員、釧路市農協組合長、土地改良区理事長、森林組合長など多くの公職を全う。その傍ら地域町内会連合会長として釧路市の発展に寄与。昭和46年11月3日、勲五等双光旭日章を賜る。昭和あ58年3月22日 釧路市長 鰐淵俊之

【石碑】(表面)大楽毛家畜市場沿革
 1 明治44年10月東宮殿下行幸記念事業として故神八三郎翁の発意により創設
 1 大正11年と昭和29年に天皇陛下行幸せらる
 1 明治44年から昭和41年までのせり売馬数22万余頭
 1 昭和41年都市区画整理事業のため畜産農業センターに移転
 1 この地は釧路産馬の発祥地である
 昭和42年8月1日 釧路種畜農業協同組合連合会

【銅像】神八三郎翁
 (裏面説明板概要)神八三郎翁は明治、大正、昭和の三代に亘り我国の産馬改良とその発展に大功労のあった偉人である。 翁は慶応2年青森県西津軽群鰺ヶ沢村に生まれ、明治20年に釧路に移住し各種の事業を経験の末、明治27年より牧畜業に専念する決意を固め、爾来、昭和30年12月90才の高令で歿するまでの全生涯を捧げて、産馬の改良とその発展に精進し、遂に貧弱な北海道在来種を基に改良に改良を重ね、日本釧路種及び奏上釧路種の2種の改良馬造成の難事をなしとげ、釧路産馬の名声を天下に轟かすと共に、日本の産業用馬の重要資源地として非常な貢献をしたのである。(中略) 神翁夫妻の高徳を慕いその偉業を後世に伝えるため、全国の有志相諮ってこの銅像を建立した。(後略)

【石碑】摂政宮午前糶(ちょう※)紀念碑 昭和二年十月三日 正五位勲三等 東武書
 ※「ちょう」とは、売りに出す米のこと。競り、競売。

【石碑】天皇陛下行幸記念碑 

【石碑】故釧路畜産組合技師 従六位勲六等 小坂徳治功労碑 農林技師 横屋潤謹書

【石碑】摂政宮殿下行啓御跡

 
  
    
   
   
   
   
   
   
   
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