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六国見山(147m)

平成22年6月5日(土)・単独

北鎌倉駅0903→明月院0910→六国見山1000→白山神社1050→家1130

 先週は日曜日も出勤し、昨日まで6日連続出勤であり、長かった。
 今回の土日は完璧に休むぞ、ということで、近場の山で行っていなかった六国見山へ。

 ネットによると。
<ウイキペディア>
六国見山(ろっこくけんざん)は、神奈川県鎌倉市高野にある。山域の6.9haは鎌倉市によって「六国見山森林公園」に設定され、ハイキングコースや展望台が整備されている。海抜は147メートル。円覚寺の奥山に当たり、山号「瑞鹿山(ずいろくさん)」でも呼ばれる。六国見山の由来は、旧国名で相模武蔵安房上総下総伊豆の六国が見えたことに由来して六国見山と名づけられた。元亨3年(1323年)から建武2年(1335年)ぐらいの間に成立した「円覚寺境内絵図」に「六国見」と記載あるのが史料上の初見とされている。

 さて、地図で近いと思われる北鎌倉の駅まで行って、近くの明月院に行く。 
 アジサイ寺と言われているが、アジサイは少し早かったようだ。
<ネットより引用>
 明月院は、臨済宗建長寺派に属する寺。首藤刑部太夫・山ノ内経俊が永暦元年(1160)に平治の乱で、戦死した父・首藤刑部大輔・俊道の菩提供養として、明月院の前身の明月庵を創建。その後、康元元年(1256)、鎌倉幕府五代執権・北条時頼が執権を北条長時に譲って、この地に最明寺が建立し、出家生活をここでおくったが37歳で死去。後に時頼の子・八代執権・北条時宗が最明寺を前身に蘭渓道隆を開山に禅興寺を創建した。
 康暦二年(1380)、足利氏満から禅興寺中興の命を受け、関東官領・上杉憲方は寺院を拡大し、塔頭も建てた。この時、明月庵は明月院と改められ支院の首位におかれた。上杉憲方の法名は明月院に由来する。足利三代将軍・足利義満の時代に禅興寺は関東十刹の一位となったが、明治初年に禅興寺は廃寺となり、明月院だけが残った。本尊は聖観音菩薩坐像

 明月院から坂を登って、今泉台の方に行く。六国見山は地図上では近いのだが、山への取り付きがわからず、30分位ウロウロする。遠いが六国見山森林公園まで行こうかと思っていた矢先、道ばたの老夫婦に聞いたとところ、登山口まで案内してくれるという。歩きながら、自分が北海道から転勤してきたというと、老夫婦のご子息が中標津で獣医で働いているいることや、利尻礼文に旅行したが素晴らしかったことなどを離しながらあるく。北海道が懐かしい自分としては涙が出そうだった。
 住所的には今泉台3丁目くらいから、登山口である。看板も何もない。
↑住宅地で見つけた大きなアロエ? ↑頂上が見えてきた
↑ 遠望 ↑ 鎌倉か、逗子か?
次に、散財が池公園に行こうと思ったが、またの機会にして、今泉地区を通って、家に向かう。
↑ 途中、白山神社で、お参りする。
<以下、ネット>
1190年源頼朝創建
もとは毘沙門堂と呼ばた歴史の古い神社で今泉の鎮守です。
社伝によると1190年源頼朝の創建と伝えられ、京都へ上洛の際鞍馬(くらま)寺からもらいうけたといわれる毘沙門天立像も納められています。
毘沙門天様のお使いであるムカデ(百足)を模した大きなしめ縄がかけられここに住む守護神と伝えられています。
大注連祭の時にしめ縄を地域住民が力を合わせ作り地域の安全と豊穣を祈願します。
祭神:
菊理姫之命(きくりひめのみこと)
毘沙門天立像
8基の石塔(うち3基が庚申塔)
 お参りして、家に帰りました。

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