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有珠山外輪山(大有珠733m)、有珠善光寺、バチラー教会堂

平成24年9月3日(日) 単独

0930 有珠山登山口駐車場
1015 外輪山展望台
1050 駐車場

1100〜12:30頃 道の駅あぷた〜有珠善光寺〜バチラー教会堂〜善光寺自然公園〜道の駅
 1週間後に、ニセコのトレイルランニング大会を控えているため、有珠山を走って登ることにする。午前中、胆振の海側は曇っていたため、日照が少なく暑くないが、登るにあたってこの山を甘く見ていて、水を500mlしか持たなかったので、外輪山展望台のみとする。
 初めて登ったのだが、噴気孔がよく見て、また、虻田市街、伊達市街、太平洋が綺麗に見えました。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
 江戸時代に会所があった場所だ。
   
   
   
   
 有珠の善光寺に初めて来た。鎌倉に来たみたいだ。北海道にもこのように歴史がある。以下、ネットより由来を拝借。

 天長3年(826年)、比叡山の僧であった慈覚大師が、自ら彫った本尊阿弥陀如来を安置し、開山したと伝えられています。浄土宗のお寺です。慶長18年(1613年)、松前藩主慶広が如来堂の再興を図りました。 その後、文化元年(1804年)、時の将軍徳川家斉公により蝦夷三官寺の一つとして、正式な建立をみました。江戸の芝増上寺の末寺です。             
昭和49年5月、寺の境内一帯は、江戸時代後期に歴史的な役割を果たした寺院として重要であり本堂は江戸時代の2度の有珠山噴火からも難を逃れてほぼ原型をとどめ、江戸時代のたたずまいを今日に伝えると言う理由で、国の史跡に指定されました。
   
 次に大臼山神社に行ってみる。以下ネットより。ここも古い。 

創立年代不詳。文化3年(1806)の「有寿《うす》場所様子大概書」、安政2年(1855)の松浦武四郎「回浦日記」、寛政年間(1789〜1801)の「有珠会所絵図」、松浦武四郎「東蝦夷日誌」に既に記されている田心姫命・田湍津姫命・市杵島姫命と蛭子神を合祀した弁財天蛭子宮という小祠が起源とされる。当時祀られていた蛭子神は現在祀られておらず詳細は不明、後に境内地整備の際に付近に建立されていた大山祇神を祀る山神碑を合祀したという。以前から弁天宮と称していたが、明治8年に社名を大臼山神社に改称、村社に列せられる。昭和58年には老朽化が進んだため、境内地を整備し社殿を新たに造営、同年10月5日竣功した。
 
   次にバチラー教会堂に行ってみる。以下、ネットより。

宣教師バチラー(1854〜1944)はアイヌ民族の父と呼ばれ、1877(明治10)年に北海道へ渡ってからの64年間、アイヌ伝道に生涯を捧げました。彼は1906(明治39)年に、有珠のアイヌ豪族向井富蔵の次女八重子を養女としました。この教会は、八重子の弟である向井山雄が中心となり建設したものです。建物の正面中央と1階左右の窓上部にあるノコギリ型の三角形は、「重ね菱」と呼ばれています。また1階左右の窓割は十字架を意識しているようにみられます。
 
   
   
   
 
 次に善光寺自然公園に行き、石割桜、展望台に行ってから、アイヌの家の横で、太気拳の稽古をして、道の駅に帰る。 

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