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余市町 モイレ山(途中断念)(65.4m)、円山(91m)

令和2年5月24日(日)    
  道の駅スペースアップル余市〜モイレ山〜港町〜道立中央水産試験場〜余市神社〜富沢町〜円山〜出雲神社〜沢町〜美園町〜道の駅 約13.3km 2時間7分

 今日の午後は雨予報なので、午前中に余市を走ることに。ついでに低山巡りも。道の駅スペースアップル余市に車を停める。以前は外国人観光客でごった返していたが、朝9時には誰もいない。
 まず最初の行き先はモイレ山である。ここの近くによいち水産博物館があり、以前に訪問したことがあるが、近くの低山のモイレ山には気が付かなかった。国道沿いに地図を見ると明治神社の上がその山なので明治神社に参拝することとすが、参道が荒れ果てており、ヘビがいそうで若干怖い。ネットで由緒を見ると、官幣神社以外で明治天皇を祀った全国で最古か唯一の神社だそうだ。創建は1912年(明治45年)で祭神は薬師主神、明治大帝だそうだ。
 明治神社の裏に登ると「よいち水産博物館」横の広場に出てまだ桜が咲いている。この広場の東側の高台がモイレ山だが、木が鬱蒼として入り込めない。ここを訪問するのは冬にして、港町・余市神社方面に走っていく。
 なお、よいち水産博物館の外に、昔の番屋の見張り場の建物があり、説明板があったので転載する。

【転載はじめ】
 往時の建物は囲炉裏の煙を出すために屋根の上に空窓を作り煙を出すと同時に明かり取りと換気をも用いた
 網元のように多くの労務者が寝泊まりする大広間になるとしぜん空窓も大きくしなければならずまた建物の外観を現すためにも次第に形の工夫をするようになった。
 一方この空窓から考案されたと思はれるものに□三(屋号:かくさん)猪俣漁場の建物があった。今は小樽に移築され当時の鰊漁場を偲ばせている銀鱗荘屋上の望楼がそれである。望楼は外観こそ似ているが空窓本来の性格が全く変わりここから親方が遠眼鏡で出入船や漁況を見る場所になった。
 ここに展示していある建物は本町港町にあった荒木漁場の原形に猪股漁業の望楼更に美観を添えるため多少の装飾を施したものである。昭和45年
【転載終了】

 浜中町に到着すると「ヨイチ ユワナイ街道余市口」、幕府西蝦夷地巡見視目付遠山金四郎景普 幕府勘定吟味役目付村垣左太夫定行「ヨイチユワナイ」開山道切開策定処」の碑が立っていた。北海道では珍しい旧街道に関する歴史を感じることができた。碑は比較的新しいが、ここの教育委員会が歴史を重視していることがよくわかる。
 初めて訪問する道立中央水産試験場を横目に、余市神社に到着する。ここは裏山のシリパ山の麓で由緒を見るととても古い。以下、由緒を転載する。

【転載はじめ】
 文政10年(1827年)、本町開発者林長左衛門が京都伏見稲荷の分霊を上余市の漁場の浜中町御殿山下に勧請し氏神とし稲荷神社と称した。同社は明治8年郷社と公称した。安永年(1773)松前角平は漁夫83名を率いて山碓町に漁場を開設し、山碓シリパ山麓に日頃信仰してい山碓稲荷と称し氏神とした。明治16年にこの山碓稲荷を合祀し現在地に移転明治44年8月余市神社と改称した。
【転載終了】

  裏山のシリパ山は今度登ることにしよう。神社に参拝後、次は市街地に戻り、円山に向かう。円山のところは公園になっており、まだ桜が咲いていて綺麗だ。円山の頂上からは余市の市街が一望できる。また、遠くには余市岳やキロロスキー場の上の方が見えたt。円山から東側の方に降りようと思ったが道がなく、若干迷ったが、余市高校側の歩道から下山することができた。ここから、余市高校の横を通って美園に抜ける農道に向かう。そうすると右手に旧坂の上に出雲神社が見えてきた。ネットで検索しても由緒はよくわからないが、見た目は古い。神社の横に松尾芭蕉の句碑があるが、何が書いてあるか、よくわからないがネットで検索すると、明治23年に建立、町内に現存する最古の区碑だそうだ。書いてある内容は「郭公 まねくか麦の むら尾花」と書いてあるそうだ。

 沢町から美園に抜ける農道を走るが、リンゴやブドウ畑が広がる美しい田園地帯である。途中、平川ファームという農場では、農場の畑の歴史が記されており、そこの畑には縄文時代草創期(15000年前)〜後期(3000年前)の土器や装飾品を数多く出土した沢町遺跡が残っており、13世紀以降はアイヌ人が暮らしていたそうだ。平川ファームは、1950年義父から引き継いだ藤城議さんsんが桃やリンゴの栽培を成功させ、65年の長きにわてって先進的農家として名声を博した。藤城さんは2014年に引退、その後を平川ファームが引き継ぎ、ドイツ系、フランス系のブドウ品種の栽培に挑戦しているそうだ。

 美園町の街の田園風景を走り、余市の街の南側を通って道の駅に戻る。なお、わかったのがニッカウヰスキーの工場の周りにはお濠が掘られていたのがわかった。
 
  
   
   
  
   
  
 
   
   
   
   
  
 
   
   
   
   

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