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浦臼町(道の駅〜鶴沼ワイナリー〜天狗鼻(223m)〜鶴沼チャシ)

令和2年7月23日(木祝)    14.3km 2時間6分
  いつも地図を見ていて気になっていた浦臼町の鶴沼方面を走るとともに、天狗鼻も登ってみることにした。
 道の駅「うらうす」に車を停める。道の駅に坂本龍馬ゆかりの地の説明板があった。この坂本竜馬にゆかりがあったことは初耳だった。

【転載はじめ】「浦臼は坂本龍馬ゆかりの地」
 龍馬が抱き続けた北の新天地開拓の夢は、再三そのチャンをつぶされてしまいましたが、彼の意志を継いだ、次の世代の人々によってその後、遂に叶えられたのでした。
 1896年(明治29年)8月20日、北海道の開拓者として知られる龍馬の甥の坂本直寛が浦臼に立ち寄り北見地方開拓のために、聖園農場に協力を求めたことから、浦臼との関係が始まります。
 1897年(明治30年)5月には北見に入植し、その翌年1898年(明治31年)には、妻と四人の子供を連れて浦臼の聖園農場に入植し、一時浦臼沼の北側に在住し、当時の大洪水の時などには、中央の板垣退助らとはかり、災害救済に貢献しています。
 1899年(明治32年)龍馬の養嗣子・坂本直が前年57歳で逝った後に、その妻、留と次男直衛が直寛を頼って浦臼町に移住し、大正4年まで浦臼に住んでいました。浦臼町札的の墓地にはその二人の墓があります。このような縁故から浦臼には龍馬の想いとゆかりの品物が数多く残されています。
【転載終了】

 まずは浦臼神社にお参りすることにする。しかし、参道途中にやたらと急な長い階段があり冒頭から汗だくに。明治31年に友成士寿太郎が3万坪(9.9ヘクタール)の土地を寄進して同年8月から開墾を開始し、明治43年に落成した神社だそうだ。
 神社から鶴沼ワイナリや天狗鼻方面への坂道を走っていく。天気予報は曇りだが、浦臼に来ると雲間からお日様が照って暑い。途中神内ファームの入り口やブドウ畑を通って高度を上げていくと、鶴沼ワイナリーに到着した。直売所もあるが普通の小さな小奇麗な農家みたいなところだ。そこからさらに上がっていくと、大きなハウス(マンゴーか?)とワインの倉庫、現在はワイン資料館に到着した。
 ここから天狗鼻への道であるが、舗装が切れて砂利道になり傾斜も急になる。また、樹木が鬱蒼として少し熊が怖いが折角来たので、登ることにする。10分も走って登ると、天狗鼻頂上の鉄塔に到着した。樹間の一部から田園地帯は見えるが、展望はきかない。
 天狗鼻を早々に後にして下山する。帰りは陣内ファームの交差点を右折して水田地帯の中を走り、国道に出る手前で、この地の開拓の功労者、友成農場があった。

【転載はじめ】友成家百年記念碑
 友成家が徳島県那賀郡宮倉村から北海道浦臼に入ったのは1891年(明治24年)4月、今から百年前である。その目的は、農場を創設し、農家の生活安定と一族の幸福を願ってのことだった。 
 初代 士寿太郎は、開拓をとおして、農地の造成、農村経済の確立、教育の基礎づくりに努め、二代又六は農協運動と町政を長く担当し、その役職に用いられた。
 三代一夫も父祖の志を継ぎ農業改良普及の指導と五期にわたる町政を預かるなど重責を果たした。
 この百年の間に浦臼町民に愛せられ、名誉町民に推され、叙位、叙勲を受けるなど、破格の栄光に浴したが、これらのことを永く銘記するため、この碑を建つ。
 1990年(平成2年)11月3日 三代の妻 友成清子
【転載終了】

 思いもかけず、浦臼の歴史に触れラッキーだった。ここからもう少しで、道の駅に帰ってくるが、ふとこの辺にチャシがあることを思いだした。スマホで検索すると「鶴沼チャシ」がヒットした。あたりを見渡すと、鶴沼チャシの標柱があったので、その道を辿っていき、坂道を登ると蕎麦畑にきた。この辺の河岸段丘の突端がチャシなのだろうかと思って、引き返す。かえって、良く調べると、もう少し奥の方だった。今度また行ってみよう。
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