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瀞台(馬追山)(272m)

令和3年(2021)5月30日(日)    
登山口(水汲み場:長沼名水)〜瀞台〜登山口(ピストン)
10時スタート 5.4km 1時間15分

 今日は吉方の西方でお水取り。必要必須の外出である。長沼温泉の山側にある長沼名水で水を汲んだ後、瀞台に登って見る。近隣の長官山は登ったことはあるが、こちらは初めてだ。最近の雨により路面は泥っぽい。登り始めてすぐにトンネルを通る。久々の自然林の中の散策は、荒んだ心を癒してくれる。2回くらいアップダウン、林道を横切ると瀞台(馬追山)に到着した。三角点と天測点が設置されている。ここも明治時代からの歴史がある。

【説明板:瀞台】
 名前の由来 明治十九年北海道植民地選定事業のため、北海道庁内田瀞氏が馬追原野の地勢調査のためのぼったもので、この事業は北海道農村設定と開拓使の上で画期的なものであった。
 この馬追原野はその第一次のもので、その主役となった内田瀞を讃えて昭和三十五年「しずか台」(本名 きよし)と命名された。
 この山に登り、石狩原野を眺望して「大小の河川沼沢、深い泥炭層、その開拓の前途は容易ならざるも必ずや、他日の穀倉たらん」と述べている。

【天測点第1号】
 日本の近代的な測量は、精密な地図を作成するために明治時代に一等三角測量を行ったことが始まりです。その後大正時代になると日本列島全体で少しひずみがあることがわかりました。そのひずみの量を全国的に調べるために、昭和29年から昭和33年の5年間に全国48か所の天測点を設置しました。
 この天測点は、天文測量で使用する子午線を置く観測台のことで、観測に安定した台が必要でした。この台の上面には十字が刻まれた直径4pの丸銅板が埋め込まれています。この天測点は、日本の測量の基準を確認した「いしづえ」ともいえる測量史跡です。
 平成14年4月1日に測量法が改正され測量の基準が日本測地系から世界測地系に変わり、ひずみは解消されています。
 なお、天測点は、測量方法や測量機器の改良により、現在は使われていません。
 平成15年9月1日 長沼町教育委員会
 
  
 
 
 
 
 

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