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御大師山(115m)

令和3年(2021)5月30日(日)     
登山口(栗山公園)〜石仏の道〜頂上〜スキー場側の道路
13:30時スタート 2.6km 33分

 馬追山を登った後栗山に移動し、大鵬でラーメンを食べた後、栗山公園のところの御大師山に登ることに。通り雨をやり過ごし、八十八カ所のところから登り始める。公園内に八十八カ所霊場建立由来があった。

【御大師山八十八カ所霊場建立由来】/
 明治42年7月、四国霊場20番奥の院、慈眼寺貫主が北海道巡錫のみぎり、角田村桜ヶ丘に在住の真言宗篤信家・藤原キシ氏宅に一泊、角田村に高野山支部が、未開設であったことから10日間滞在し、八十八カ所霊場の設置を出願し、本山の許可を得て支部の開設をみた。
 藤原キシ氏・僧正導師の下に得度妙遍法尼として、布教に専心 栗山寺を開創.。
・明治43年御大師山「杉武一郎氏公園造成地として26,783坪寄付に」不動堂、奥の院建立
・明治44年信者の篤志により、御大師山に「四国八十八カ所を模した霊場」を建立
・建立するにあたって四国八十八カ所本山寺の「土」を受け、各石仏の下に埋め祀っている
・各石仏の間隔は、1間1里とし四国本山寺の距離を、2160万分の1に縮尺
・石仏一体の建立費を15円として浄財を募り多くの人々の賛同を得て建立
・当時 北海道では、他に例をみない霊場として多くの人々の巡敬を得た

【四国八十八カ所の由来】
 弘仁6年(815年)に弘法大師が四国霊場を阿波の国(徳島県)を発信の地とし、道場23カ寺(1〜23番)、土佐の国(高知県)は修行の道場16カ寺(24〜39番)、伊予の国(愛媛県)菩提の道場26カ寺(40〜65番)、讃岐の国(香川県)涅槃の道場23カ寺として88カ所の修行の道場として設立した。

 石仏がある登山道を登っていくが、道が荒れていて厳しい。しかしあっという間に明るい広い道路に出た。ここから栗山の市街地も一望できる。三角点もあるので頂上だろうと思い、さらに道を進めると広場らしいところに出る。そこから進むと道が下ってきたので、引き返して、幅広い舗装道路を下ると広い原っぱらしきところ、恐らくスキー場跡を下ると街に出た。30分の山行であった。
  
    
   
   
  
 
 
 
 
   
 
 

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