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2013年(平成25年)5月2日(木) 

奥尻島 折りたたみ自転車ブロンプトンによる1周
球島山(369m)

 8:35 宮津 大須田旅館
 9:05 島北部の賽の河原
 9:30〜10:00頃 林道内を迷う
10:45 球島山(369m)
11:45 神威脇
12:45〜13:15 青苗(昼食含む)
14:00 フェリーターミナル

 奥尻の旅2日目である。かねてから考えていた奥尻島を人力(自転車)で一周にチャレンジする。本当は足で走りたいのだが、フェリーの時間もあるので、折りたたみ自転車ブロンプトンでチャレンジする。これは、遊びではなく、奥尻島の観光の一アイテムとして、自転車による1週が、素人でも可能かどうか検証し、報告書を作成して、後ほど奥尻島の観光協会に提言するために業務の一貫としてチャレンジするのだ。
 昨日の飲み会で、役場の人から島北部は起伏が激しくて大変だよと警告を受けていたが、何とかなるだろう、また、昨日は午前様になるまで飲んでいたので、二日酔いだが自分を奮い立たせて宿をスタートする。コースは宮津を北上し、賽の河原から西側を青苗まで南下し、フェリーターミナルに帰ってくるというコース。スタートして、さらなる試練が自分を襲う。今日は、冬型の気圧配置で、北風が強くて半端でないのだ。下りでも漕がないと進まない。宮津弁天は、朝の散歩でお参りしているので、とばして賽の河原に向かう(球島山までの写真を削除してしまったので、そこまではネットの写真と文章でご容赦)。北上すると、対岸の檜山の大成や遊楽部岳、はるか彼方に狩場山などが見える。案外近いのだ。そして海が綺麗だ。向かい風とはいえ、まだ、始まったばかりなので体力はあり、あっという間に賽の河原に着く。売店が一軒あるが、その他は誰もいない。賽の河原は本当に霊場という場所らしい。拝んで西側の道を南下する。海岸線は平坦で、しかも向かい風になり快適な自転車行であったが、直ぐに登りに差し掛かる。しばらく行くと、左折する砂利道の林道らしきものがあり、看板に左に行くと宮津と書いてある。この道を左折すると球島山かな?と勘違いして、自転車を置いて、歩いて林道を登る。この島には熊がいないので安心なのだが、20分ほど歩き峠に差し掛かると廃屋が見えてきた。変だなと思って地図を見ると、球島山に行く道の手前の林道なのだ。ここで引き返す。自転車を置いてあるところまで戻ると30分のロスだ。まあ、まだ時間はあるのでのんびり行くこととする。球島山までは、ほとんど登りで、緩やかなところは自転車を漕いで、急なところは降りて押して登る。高度が上がると牧草地、公共牧場も出てきた。この辺は昔、開拓地であったそうだ。そうこうしているうちに、球島山(369m)に到着する。頂上は風がやたらと強く立っていられない。しかし、365度見渡せる絶景、檜山の山々、日本海、南の方には奥尻島の最高峰「神威山」と自衛隊のレーダーが見える。本当なら最高峰の神威山に登りたいのだが、自衛隊敷地は立ち入り禁止とのこと。そして、球島山を下って、神威脇に向かう。そこまでは、ほとんど下りなのと、さらに追い風なので殆どこがないであっというまに着く。しかし、その道中、違う問題が浮上。やたらと寒いのだ。ダウンジャケットを取り出して来ても寒い。凍えながら神威脇に到着。渋い温泉があるが、風呂道具がないのと、時間も心配なので、通り過ごして出発。しかし、島の西側は人家も少なく、車もほとんどいない。青苗まで車は観光客らしい車に3台あったくらいか?村人は、スーパーカブに乗った爺さん一人。じいさんに「どっから来た?」と問いかけられ、宮津から一周を目指すと答えたら、たいそうびっくりしていました。
 青苗は、それまでの急峻な海岸線から景色が変わり、田んぼ、牧場もある平坦な地形になる。ここが栄えた理由が良くわかるが、南西沖地震で被災したとのことであり合掌。ここには遺跡、フットパスなど見るところが数多くあり、また、来ることにしよう。青苗でラーメン(青苗ちゃんぽん)を食べたあと、フェリーターミナルに向かう。ここで、北に向かう方角になり、再度、向かい風に悩まされる。午前中より風が強くなっているのと、体力が落ちているので、とても難儀。距離で17kmくらいなのに、フェリーターミナルまで1時間半以上もかかった。
 
 途中30分迷ったり、向かい風に苦しみましたが、自転車素人で、折りたたみ自転車でも5時間程度で十分1週できるコースであることがわかりました。課題としては、途中、店がないので、水、食料を十分持つこと。気候によって寒い場合もあるので、服装に注意が必要です。「体力のある人、レンタル自転車で奥尻1週しませんか?」というキャッチフレーズで、売り出しても良いかも?今度は、いつか足で一周にチャレンジです。
 

 
    (写真もコメントもネットより拝借)ここに番所を置き対岸との連絡の拠点で、科人の逃亡監視の場所でもあったといいます。1831年(天保2年)、島民が大漁祈願の御神体として弁天様をここに奉納しました。
   賽の河原(ネットより拝借)
   
 
 
 
 球島山頂上
   
 復興の森  
   
 
 上の3枚は、西側の海岸
   
神威脇温泉  アレに似ている岩
   
   田んぼ
   
 黒毛と褐毛和種 青苗市街 
   
 遺跡もある  
   
 青苗ちゃんぽん 御影石海岸。看板も古い 
   
 北前船の錨。明治まで活躍 なべつる岩 
 
江差港から夕日を望む 

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