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2013年(平成25年)10月19日(土) 

増毛山道トレッキングツアー 16km
別苅・岩尾ルート最高到達点(680m)

 7:50 岩尾入口
 8:39 橋跡
 9:11 林道との交差点
10:52 最高到達点
11:03 水準点・旧武好駅逓
12:20〜50 武好駅逓で昼食
16:03 別苅入口

 このツアーは、山・歴史・距離の三拍子が揃った自分にとっては垂涎の企画であった。前回9月14日(土)に申し込んであったが、雄冬のトンネルで通行止めになっていて泣く泣く断念していた企画である。今回は事前に交通止情報をばっちり調べておいたところ、20日まで開通しているということで、今回は万全である。しかも、今回は9月に比べて快晴の天気予報で、災い転じて今回の方がラッキーである。
 朝4時に札幌の自宅を出発。集合場所の別苅のバス停に迷いながらも6:30に着く。参加者は全員19名で、一人の若い女性を除けば、男性では自分が一番若いようだ。マイクロバスに乗って、岩尾まで走る。
 出発前に、主催者の増毛山道の会から、簡単な説明と参加者の自己紹介があったあと、出発。山道の会は皆さん結構年配の方だが、ご説明も足取りもしっかりしている。
 途中途中の詳細説明は、以下に譲るが、朝早くて眠かく、長くて疲れたが、好天と紅葉に恵まれた素晴らしい山行であった。 

「増毛山道とは(パンフレットより)」
 江戸時代になると和人が蝦夷地に住むようになり、広い蝦夷地に散らばる漁場同士を行き来するため道路が整備されていきます。
 そうした中、増毛と浜益のあいだを通行するために掘削されたのが増毛山道です。
 増毛から浜益に続く海岸は雄冬岬に代表される急な断崖絶壁が続く地形で陸上の通行にはこんなんを伴いました。そのため山道の整備は重要事項だったのです。
 安静4年(1857)、今から150年ほど前、増毛の漁場を請け負っていた商人、伊達林右衛門が自費にて開削をし、14里1丁の道を完成させました。そのうち、増毛町の別苅と石狩市の幌を結ぶ9里22丁(約37km)の区間を増毛山道と呼びます。
 北海道の名付け親として知られる松浦武四郎は、調査で増毛を訪れ、完成してすぐの山道を通行して、「蝦夷地第一の出来栄え」と評し、道の途中に宿を置くと良いと行っています。

 
   
   
   
   
   
   
   
  増毛山道、とくに岩尾と増毛のルートは生活道路として利用されていて畑もあった。選挙の時には役場職員が投票箱を運んでいた。先生も答案用紙を運んでいたようだ。岩尾の古老も、増毛まで冬の雪道を通って受験に行っていたようである。16kmの道のりは一日かかりの大変な道である。
 ところどころ橋がかかっていて、岩が残っている。この道には馬も通っていて、馬子がこのような場所でやすんでいたらしい。この道は急な上り下りも少ないので、トレイルランニングの適地と思っている。
   
   
   
 増毛天狗岳が綺麗に見える。頂上まではひどい藪こぎだそうだ。 最高到達点付近は雪。 
  
   
   
 水準点が残っている。道庁の赤レンガに同じものがあるがそれが一番で、おそらくここはそこから8系統の467番目の水準点という意味である。国土地理院のHPの点の記にはこの山道には17個の水準点があるとされているが、3つしか見つかっていない。見つけるためには4つの防衛石が鍵。石自体は人間の背丈くらいの高さがあり140kgある。三河国の花崗岩で船と馬で運んだものと思われる。観測者は軍人。
 ここの近くに古通行屋、地元の人はフルツコヤといっていたが、それがあった。この地点は北側に屏風のような天狗岳があり風を遮り、樹木も湧水もあり天国のようなところである。よって電柱も数多く残っている。 
   
   
   
   
 
 暑寒別岳が見えてきた。
   
   
武好駅逓に到着。ここで休憩。ビール瓶も残っている。 
   
   
 
   
   
   
   
   
   
   
 
帰りの夕日

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