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東京出張
(東松戸→松戸)

日程:2017年(平成29年)1月17日(火) 約6,5kn 
 東京出張の2日目の午後に時間ができたので、東松戸から松戸まで歩いてみる。

 最初に向かったのが「河原塚1号古墳」。北総線の東松戸駅から武蔵野線沿いに県道51号線を北に向かい、少し小高い丘の森の中に遺跡はあった。説明版によると六世紀ごろに築かれ、直径25m、高さ5mで、墳頂からは、頭を東にした進展埋葬人骨(壮年男子)と剣、鉄ゾク、ガラス、玉などの副葬品が発見されたという。

 そこから松戸にトボトボ歩いていくと結構遠い。後で距離ソクで図ると6km以上あった。松戸の市街に近づき、聖徳大学の崖のところに旧陸軍工兵学校の倉庫跡地みたいなものを発見。

 そこから少し歩くと戸定邸に向かう。ここは少し高台にあり、明治時代の徳川家の住まいが完全に残る建物だという。建設したのが水戸の徳川斉昭の18男の徳川昭武で、純和風木造平屋一部二階建てで23の部屋がある。
 庭園からは江戸川の向こうに東京の街並みが見え、晴れた日には恐らく富士山が見えるのであろう。

 戸定邸から線路を渡り、松戸神社にお参りする。御祭神は日本武尊だそうだ(第12代景行天皇の皇子で、御名を小碓皇子(おうすのみこ)。
 創立は古い。寛永3年(1626)。松戸の由来は、景行天皇の御代40(291)年、武蔵国へ向かわれる際に、当地にご陣営を設けて従将の吉備武彦(きびたけひこ)連と大伴武日(おおとものたけひ)連の 方々と待ち合わせたため、『待つ郷』(まつさと)=『待土』(まつど)と呼ばれ、『松戸』の地名が生まれたと云われていう。

 松戸は宿場街であるが、水戸街道の日本橋から3つめの宿場。御三家の水戸藩は参勤交代がなく、藩主は重臣は江戸に常駐していたことから、水戸の藩士たちがこの道中を頻繁に往復していた。

 江戸と下総を分ける江戸川のためには警備のために橋はかけず、対岸の金町には関所がおかれ、一般の通行は渡し舟に限られたため、関所待ちの旅人が松戸に多く泊まったという。

 その後、今はマンションになっている松戸本陣跡を見て、古い趣が残る松戸の街並みを通って、JR松戸駅に向かう。 
 
 
 
 
   
河原塚1号古墳 
 
旧陸軍工兵学校 倉庫? 
   
   
戸定邸 
   
松戸神社 
   
松戸本陣跡地 
  
古い家屋 
 

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