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 中原街道D(マラニックの旅)
 
寒川〜中原御殿(平塚)

日    程   2011年9月25日(日) 8:30頃から10:00頃
 今日は早起きして山に行こうと思っていたのだが、寝坊してしまった。このため、またしても近場の中原街道の旅に。今日で完遂。
寒川神社参道入り口 橋の手前のパチンコ屋に竜が
相模川の神川橋。大山が遠くに見える。水が台風の影響でまだ濁っている。
大きな工場があると思ったら、キャノンだ。 田村の渡し場跡

<田村館跡>
平塚市田村一帯は鎌倉時代の武将・三浦平六義村の居館跡と伝承される。承久元年(
1219)七月鎌倉第四代の征夷大将軍を嗣ぐべき人物として迎えられた藤原頼経は五日間この地に滞在し、同十九日鎌倉入府を行った。頼経将軍はその後も数回来泊している(『吾妻鏡』)。

安貞二年(1228)七月には執権・北条泰時、連署・北条時房等鎌倉の将星多数が臣従し、三日間に亘り田村の秋興を満喫した。居館は田村の渡しに連なる古街道に面し、大手口を北側にもっていたとされる。三浦義村は延応元年(1239)十二月に歿し、館はその前後に廃されたと推察される(『現地石碑板』)。

国道129号の「田村」交差点を相模川方向に進み、神川橋手前の「八坂神社」交差点を右折。100mほど直進した市営宮ノ前住宅の道路沿いに石碑が建つ。

常安寺。門は古いが、寺自体は新しい。。
消防署のシャッターに中原御殿の絵が描いてある。
中原小学校をぐるっと一周して、中原御殿の碑を見つけた。以下碑文。

この地は、慶長年間、江戸に幕府を開いた。徳川家康公が、旅のやどりとして造営した相模国大住郡 中原御殿の跡である。御殿は またの名を雲雀野御殿ともいい家康公が鷹狩り 江戸と駿府往来の途次に宿泊した 文献によると文禄元年 肥前国名護屋陣に赴くさい 中原に止宿したのを始めとし 係わりは深いものがある。中原は御殿の勝地にとどまらずこの地方に与えた影響は大きい 江戸時代初期の大住郡の行政中原御林 中原街道 など皆この地より発したという。明暦3年 60有余の歳月を経た御殿は惜しくもお引き払いとなり中原を去った。ここに 近世初頭の光彩を放つ著名史跡を末永く顕彰するため 建碑したのである。

 

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