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2019年(令和元年)10月20日(日) 中山道(鴻巣〜熊谷)7鴻巣〜8熊谷宿 16.3km(64.0km)13:24〜16:38 (3時間14分) |
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ここまで約30km走って(歩いて)きたが、まだお昼過ぎなので、もう少し頑張って熊谷まで行くことにする。しばらく走り、高崎線を渡ると敷地がでかい農家が連なっていた。しばらく行くと宝持寺、その隣に氷川八幡神社に。ここには羅生門で鬼を退治した渡辺綱が祀られているそうだ。その境内には其田碑があった。説明板によると武蔵野国武士の発祥の地で、平安時代に数多くの武士がこの地で治めたという。 吹上駅に近づくと、其田追分である。吹上駅と吹上市街を過ぎると吹上神社である。由緒から、この辺の街も平安時代から続いていたと考えると感慨深い。吹上から荒川沿いの堤防にさしかかると権八地蔵である。1600年代鳥取藩士だった平井さんという人が人殺しの罪で江戸に逃れてきて、こちらでも絹商人を殺してしまい、この辺に差し掛かるとお地蔵様があって、「今の悪行を見ていたようですが、言わないでください」とお地蔵に言うと「吾は言わぬが汝言うな」とお地蔵が言ったという。ここを権八地蔵とした。 ここから堤防に上がってしばらく堤防の上を走っていく。堤防の下のマンションの脇に久下一里塚があったが、草が生い茂っていてたどり着くことができない。残念だ。そこを遠くから写真に収めてさらに走っていく。行田駅の近くの久下神社、東竹院を過ぎると、熊谷宿が近づいてきた。東竹院は1200年頃の開山、古い。 熊谷の街が近づいてきたが、ここまで45kmほど走ってきて体がきつくなってきた。本来なら熊谷駅で終了だが、もう少し先の本陣跡碑まで走り、ここで熊谷宿に到着。本日は思いもかけず、45km以上も街道歩きができた。大満足の旅であった。
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